「サルト・サーキット」の版間の差分

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{{Otheruseslist|4輪の[[ル・マン24時間レース]]で使用される非常設の公道コース「'''サルト・サーキット'''」|「[[国際モーターサイクリズム連盟|FIM]][[ロードレース世界選手権]][[フランスグランプリ (ロードレース)|フランスGP]]や2輪のル・マン24時間レースなどで使用される常設サーキット|ブガッティ・サーキット}}
{{出典の明記|date=2010年12月}}
{{Infobox motorsport venue
| Name = Circuit de la Sarthe
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| Location = フランス ル・マン
| Coordinates ={{Coord|47|56|59.5|N|0|12|27.11|E|display=inline,title}}
| Image =[[Image:CircuitLe deMans laPits Sartheat track mapNight.svgjpg|250px]]
| Image_caption =
| Capacity =
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| Architect =
| Former_names =
| Events = [[ル・マン24時間レース]]</br>[[ル・マン・クラシック]]
| Layout1 = [[Image:Circuit de la Sarthe track map.svg|250px]]
| Surface = アスファルト
| Length_km = 13.629
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| Record_class = LMP1
}}
'''シルキュイ・ドゥ・ラ・サルト<ref name="tms1">"[http://ms.toyota.co.jp/jp/wec/special/circuit-de-la-sarthe-01.html サルト・サーキット徹底攻略「名勝負の舞台、ル・マン24時間サーキットを巡る」(1/4)]". トヨタ・モータースポーツ.(2013年)2013年6月11日閲覧。</ref><ref>"Sathe"を英語読みすると「サル'''テ'''・サーキット」と呼ばれる[http://ms.toyota.co.jp/jp/wec/special/circuit-de-la-sarthe-01.html]。</ref>'''([[フランス語|仏]]: '''{{lang|fr|Circuit de la Sarthe}}''', サルト・サーキット)は[[フランス]]の[[サルト県]][[ル・マン]]市郊外にある[[サーキット]]。正式名称は'''{{lang|fr|Le circuit des 24 heures du Mans}}'''(ルマン24時間サーキット)<ref name="tms1"/>
 
毎年6月に[[世界三大レース]]のひとつである[[ル・マン24時間レース]]、隔年7月にヒストリックカーレースの[[ル・マン・クラシック]]が開催されている。
 
== 概要 ==
[[ファイル:Le Mans location map.jpg|thumb|left|180px|サーキット周辺図]]
[[ル・マン24時間レース]]で使用されるコース。コース全長は13.629kmで、その多くを[[公道]]を使用する。[[ピット (サーキット)|ピット]]などの競技用施設や[[サーキット#コントロールライン|コントロールライン]]などは、「[[ブガッティ・サーキット]]」と共用する。
[[ファイル:Luftaufnahme vom Bugatti Circuit.jpg|thumb|left|180px|ブガッティ・サーキットとの共用区間]]
コースはル・マン市街地から南に下ったところにあり、2/3の区間は普段は国道 ([[:en:Route nationale|Route nationale]]) や地方道 (Route départementale) として使われている一般[[公道]]を閉鎖して走行する。[[ピット (サーキット)|ピット]]施設と周辺の常設区間は、2輪レースを行う「[[ブガッティ・サーキット]]」と共用する。1周の距離は13.629kmあり、[[ニュルブルクリンク24時間レース]]が開催される[[ニュルブルクリンク]]北コース(全長20.832km)と並んで、往時のロングコースの伝統を残している。
 
当初は極めて緩やかな高速コーナーと超ロングストレートを2つ含む単純なレイアウトであったが、高速化するレースカーに対する安全性の向上や死亡事故への対策として、コーナーの追加や道幅の拡張などが行われてきた。それでも高速コースという特性は変わらず、[[プロトタイプレーシングカー|プロトタイプカー]](LMP1クラス)の平均速度は240km/hに達し、これは[[モンツァ・サーキット]]で行われる[[フォーミュラ1|F1]][[イタリアグランプリ]]に匹敵する<ref name="fanp42">『モーターファン・イラストレーテッド ル・マン24時間』Vol.71、三栄書房、2012年、42頁。</ref>。
サルテまたはサルトと呼ばれるが{{要出典範囲|サルテが英語読み|date=2009年11月}}、サルトがフランス語読みで、全部フランス語読みにすると「シルキュイ・ドゥ・ラ・サルト」になる。テレビ朝日がル・マンを放映していた時はサルテと表記していた。
 
ル・マン仕様のマシンは[[抗力|ドラッグ]]削減をテーマとし、ロングテールなどの特殊なエアロキットを使用する場合もある。ただし、ポルシェ・カーブのような高速セクションを攻略するためには、ある程度の[[ダウンフォース]]も必要となる。
[[1923年]]に耐久レースが開催されたときのコースは、極めて緩やかな高速コーナーと超ロングストレートを2つ含む単純なレイアウトであったが、テルトル・ルージュがコーナーに変化した現在のコースの原型となったのは[[1932年]]のことである。
 
公道区間は再舗装により路面が滑らかになったが、道幅は通常の2車線道路であり、ランオフエリアも常設区間に比べると狭い。公道でも300km/hを超えるスピードが出る上に、レース中はプロトタイプカーと[[グランツーリスモ|GTカー]]が混走するため、速度差の大きい車同士が接触してクラッシュにつながる危険性をはらんでいる。
その後、高速化するレースカーに対する安全性の向上や死亡事故への対策によって[[シケイン]]の追加や道幅の拡張などが行われている。特に約6kmという超ロングストレート「ユノディエール」(Hunaudières)では、レースカーは400km/hを超えるスピードに達していたため、[[1990年]]に安全性のために約1/3となる場所にそれぞれシケインが追加された<ref>[[国際自動車連盟|FIA]]の規定により「2km以上の直線を持つ[[サーキット]]は公認しない」とされるため設置</ref>(現在では330~340km/h程)。なお1つ目のシケインは「[[日産自動車|ニッサン]]・シケイン」と名付けられた。さらに2000年に「[[ダンロップ]]ブリッジ」のストレートが大きな下りカーブに、2006年に「エッセ」と「テアトル・ルージュ」の侵入が緩やかに改変され現在に至る。
 
コースがあまりにも広大なため、グランド[[セーフティカー]]は3箇所に待機し、レース中の事故による減速走行時には同時にコーする。かつては南端のミュルサンヌ・コーナーにサインボーエリアがあり、北側ピットと電話連絡を取りながら走行車輌に指示を送っていた。ピット周辺は晴れているのにもかかわらず、ミュルサンヌコーナーの辺り大雨が降っているということがある。そのためチームのレース戦略を大幅に狂わせられることがあり、過去には[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]チームが、サルト・サーキット全域を網羅できカバーす[[気象観測機器]]レーダー持ち込んだこ利用するチームもある。日中夜間では気温の差大きく、日没と早朝の時間帯には日差しの眩しさに幻惑され<ref>24時間レースが開催される6月の[[日の入り]]は22時前と遅い。</ref>
 
24時間レースの期間中は20万人を越える観客が長時間滞在するため、グッズショップや飲食店のほかに移動遊園地や映画館、コンサートステージなど様々なアトラクションが設営される。
コースの長さをカバーするため、レース中の事故による[[セーフティカー]]導入時も、通常のサーキットと異なり同時に複数のセーフティカーがコースインする。
 
== コースレイアウト ==
またコースの大部分が路肩を広く取った片側一車線の一般公道を使用しているために、路面のうねりの他に轍が出来ている箇所も多く、雨が降ると轍の部分に「川」が出来るため、スピンを誘発しやすくなる。{{要出典範囲|さらにユノディエールには街灯すら存在しないため、ドライバーにとっては特に夜間走行においてかなり厳しいコースでもある。|date=2011年12月}}
<!-- 順序が逆(建設されたのはブガッティの方が後)→「サルト・サーキット」の大部分は公道を使用するが、レースを開催する上で必要な設備は「ブガッティ・サーキット」の設備を使用している。-->
=== 常設区間1 ===
ホームストレートから緩やかな'''ダンロップ・カーブ'''(Courbe Dunlop)を駆け上ると、丘の上に左・右の'''ダンロップ・シケイン'''(Chicane Dunlop)がある。シケイン出口の歩道橋([[ダンロップ]]ブリッジ)をくぐると下り坂になり、ブガッティ・サーキットのシャペル・ヘアピン(Virage de La Chapelle {{ウィキ座標|47|57|32.48|N|0|12|54.53|E|scale:5000|座標}})からサルテ専用の常設区間に分岐する。この一帯はコースサイドに広いグラベルベッドが用意されている。
 
高速S字の'''森のエス'''(Esses de la Foret {{ウィキ座標|47|57|36.39|N|0|13|3.38|E|scale:5000|座標}})を抜けると複合右コーナーの'''テルトル・ルージュ'''(Virage du Tertre Rouge {{ウィキ座標|47|57|41.08|N|0|13|33|E|scale:5000|座標}})。「赤い丘」という意味で、ここを整備した際に地面が赤かったことから命名された<ref name="tms1"/>。あとに長いストレートが控えているため、脱出速度が重要視される。このコーナーの出口で一般道に合流する。
=== 非公道区間 ===
「サルト・サーキット」の大部分は公道を使用するが、レースを開催する上で必要な設備は「ブガッティ・サーキット」の設備を使用している。
 
=== 公道区間 ===
「ポルシェ・カーブ」({{ウィキ座標|47|55|35|N|0|12|32.31|E|scale:5000|座標}})から公道部分を離れ、「フォード・シケイン」の先で「ブガッティ・サーキット」のホームストレートに進入する。ホームストレートに入ってすぐのところにコントロール・ラインがある。「ダンロップ・シケイン」の先は、「ブガッティ・サーキット」の「La Chapelle」({{ウィキ座標|47|57|32.48|N|0|12|54.53|E|scale:5000|座標}})だが、「サルト・サーキット」として使用する際は閉鎖され、「エッセ」に向う緩やかな右コーナー({{ウィキ座標|47|57|33.19|N|0|12|54.76|E|scale:5000|座標}})となる。「エッセ」({{ウィキ座標|47|57|36.39|N|0|13|3.38|E|scale:5000|座標}})を抜けて「テアトル・ルージュ」から公道部分「リーニュ・ドロワット・デ・ズュノディエール通り」に出て行く({{ウィキ座標|47|57|41.08|N|0|13|33|E|scale:5000|座標}})。
ル・マン名物のロングストレートは'''ユノディエール<ref name="corner1">ユノディエール ([[:fr:Hunaudières|Hunaudières]]) 、ミュルサンヌ ([[:fr:Mulsanne|Mulsanne]]) 、アルナージュ ([[:fr:Arnage|Arnage]]) はそれぞれ付近にある土地や[[コミューン]](町・村)の名前である。</ref>'''(Les Hunaudières)もしくはミュルサンヌ・ストレートと呼ばれる。普段はル・マンと[[トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]]を結ぶ国道138号線 ([[:en:Route nationale 138|N138]]) であり、ガードレールに挟まれた直線道路を北から南へと下っていく。かつては全長約6kmもあり、アクセル全開時間が1分間ほど続いた。1988年にはWM・プジョーが405km/hという最高速記録をマークしたが、国際自動車スポーツ連盟 (FISA) が安全面から「2km以上の直線を持つサーキットは公認しない」とルール化したため、1990年には途中に2ヵ所の[[シケイン]]を設け、ストレートを3分割した。現行レイアウトでは、第1シケイン手前で最高速を記録する<ref name="fanp42"/>。
 
シケインはの他にも安全上の観点かられぞれ看板スポンサー名で呼ばれており平常時第1シケイン(右・左・右)閉鎖している箇所がある。リー[[日産自動車|ュ・ドロワト・デ・ズュノディエサン]]→[[プレイステル通りション]]→[[Forza Motorsport]]の途中と、「リーニュ。第2シケイン(左ドロワットデ・ズ左)は「[[ミシノディエール通りラン]]から「トゥール道路」の境にロータリーがある。「サルト・サーキット」ふたつ「ミュルサシケイヌ・ストレート」としス期間以外は閉鎖され使用す際は。逆にそれらN138途中に2ヶ所ある[[ロータリーをバイパスする直線を使用する]]({{ウィキ座標|47|57|23.32|N|0|13|39.83|E|scale:5000|閉鎖部分座標1}}・{{ウィキ座標|47|56|31.8|N|0|14|4.67|E|scale:5000|閉鎖部分座標2}}。「ミュルサンヌ」も通常タリーとなっていて、「サルト・サーキット」として使用すス期間中閉鎖され際に「ミュルサンヌ」のコーナーを使用する({{ウィキ座標|47|54|48.51|N|0|14|35.61|E|scale:5000|座標}})
 
ユノディエールの南端には、右直角コーナーの'''ミュルサンヌ・コーナー<ref name="corner1"/>'''(Virage de Mulsannne {{ウィキ座標|47|54|48.51|N|0|14|35.61|E|scale:5000|座標}})が待ち構える。普段は[[ロータリー交差点]]になっており、レースコースはロータリー手前で右へ分岐し、コーナーを抜けると一般道へ再合流する(普段は閉鎖されている)。ブレーキングゾーン手前に視界を遮る路面の隆起があり、分岐路を右へ入りつつトップスピードから急減速するためブレーキングが難しい。
逆に「インディアナポリス」({{ウィキ座標|47|55|20.28|N|0|13|10.19|E|scale:5000|座標}})や「アルナージュ」({{ウィキ座標|47|55|17.38|N|0|12|56.15|E|scale:5000|座標}})には、レース用の縁石が常設されている。
 
ミュルサンヌから先は地方道140号線 (D140) に入り、西に向けて再び全開区間となる。緩く右に曲がる箇所は、路肩にレース用縁石が常設されている。その先には2連続直角コーナーがある。1つめの'''インディアナポリス・コーナー'''(Virage d'Indianapolis {{ウィキ座標|47|55|20.28|N|0|13|10.19|E|scale:5000|座標}})は手前の右コーナーからブレーキを残しつつ、小回りに左へターンする。イン側へ[[カント]]が付いている上に舗装前はレンガ敷きだったため、[[インディアナポリス・モーター・スピードウェイ]]にちなんで命名された。続く右の'''アルナージュ・コーナー<ref name="corner1"/>'''(Virage d'Arnage {{ウィキ座標|47|55|17.38|N|0|12|56.15|E|scale:5000|座標}})はコース中最も低速で抜ける。その先は地方道139号線 (D139) を北上する。
== コース全長の変遷 ==
 
* A (1923年 - 1928年)'''17.262km'''※現テルトルルージュ付近に向かわず、ル・マン市内中心部まで行き引き返すコースだった
=== 常設区間2 ===
* B (1929年 - 1931年)'''16.340km'''
'''ポルシェ・カーブ<ref name="corner2">ポルシェカーブとフォードシケインはそれぞれ[[ポルシェ]]と[[フォード・モーター|フォード]]がコース改修資金を提供したことから命名された。</ref>'''(Virage Porsche {{ウィキ座標|47|55|35|N|0|12|32.31|E|scale:5000|座標}})の手前から一般道を離れ、サルテ専用の常設区間に戻る。ポルシェ・カーブの先はポント(Virage du Pont)、コルベット(Virage Corvette)、カーティング<ref>コース脇に[[アラン・プロスト]]の名を冠した[[レーシングカート|カート]]コースがある。</ref>(Virage du Karting)、メゾン・ブランシュ<ref>コース脇に白壁の建物があることから。「ホワイトハウス・コーナー」とも呼ばれる。</ref>(Chicane Maison-Blanche)と左右に高速スラロームが続く。常設区間ながらランオフエリアが狭く、両側にコンクリートウォールが迫っている。
* C (1932年 - 1955年)'''13.492km'''※当年からテルトルルージュ→ユノディエールへと続く現コースの原型に
 
* D (1956年 - 1967年)'''13.461km'''
最終セクションは2連続シケインを左・右・左・右と切り返す'''フォード・シケイン<ref name="corner2"/>'''(Chicane Ford)で、フォード"S"("S" Ford)或いは接続コーナー(Virage du Raccordement)とも呼ばれる<ref name="tms3">"[http://ms.toyota.co.jp/jp/wec/special/circuit-de-la-sarthe-03.html サルト・サーキット徹底攻略「名勝負の舞台、ル・マン24時間サーキットを巡る」(3/4)]". トヨタ・モータースポーツ.(2013年)2013年6月11日閲覧。</ref>。2つめのシケインでブガッティ・サーキットの最終コーナーと合流し、ホームストレートへと立ち上がっていく。コントロールラインは最終コーナー寄りにある。なお、ピットロード入り口はシケイン手前から分岐する。
* E (1968年 - 1971年)'''13.469km'''
 
* F (1972年 - 1978年)'''13.640km'''
<gallery widths="150px" heights="150px" perrow="4">
* G (1979年 - 1985年)'''13.626km'''
ファイル:Le Mans 2007 - Dunlop Curve.jpg|ダンロップカーブ
* H (1986年)'''13.528km'''※ミュルサンヌコーナーの交差点が十字からロータリーに変更されたため、ロータリーを避ける専用コースでショートカット
ファイル:Le Mans Esses.jpg|ダンロップブリッジ
* I (1987年 - 1989年)'''13.535km'''※ダンロップコーナー前にシケイン設置
ファイル:Terte Rouge at night 2008.jpg|テルトル・ルージュ
* J (1990年 - 1996年)'''13.600km'''※ユノディエールに2ヶ所シケイン設置
ファイル:Mulsanne Le Mans.jpg|ユノディエール
* K (1997年 - 2001年)'''13.605km'''※ダンロップシケインのレイアウト変更
ファイル:LMPs at Mulsanne.jpg|ミュルサンヌ
* L (2002年 - 2005年)'''13.650km'''※ダンロップブリッジ下からS字までレイアウト変更
ファイル:Le Mans 2008 Rolling start.jpg|フォードシケイン
* M (2006年)'''13.650km'''※ダンロップシケイン付近改修
ファイル:Le Mans Race Control.jpg|ピット
* N (2007年 - )'''13.629km'''※テルトルルージュ付近改修
ファイル:Podium 2010 24 Hours of Le Mans.jpg|表彰台
</gallery>
 
== 歴史 ==
[[ファイル:Circuit de la sarthe 1906c.svg|thumb|right|180px|1906年ACFグランプリのコース図]]
サルト・サーキットは当初は[[耐久レース]]用ではなく、[[フォーミュラカー|フォーミュラ]]レースの[[フランスグランプリ]]を開催するため、[[フランス西部自動車クラブ]] (ACO) が開設したものである。[[1906年]]にル・マンで第1回ACFグランプリ ([[:en:1906 French Grand Prix|1906 French Grand Prix]]) を開催した時には、1周103.18kmの三角形の公道コースを使用した。[[1921年]]には1周17.262kmの別のコースでフランスGPを開催し、このコースで[[1923年]]より24時間レースを行うようになった([[1929年]]にもフランスGPを開催している)。
 
1921年のコースはピット前からル・マン市中心部へ北上し、ポンリュー・ヘアピンからユノディエールへ折り返すレイアウトだったが、1932年より北側部分をショートカットし、今日のレイアウトの原型となった。
 
[[第二次世界大戦]]中は[[ドイツ国|ドイツ]]占領下で[[滑走路]]として使用され、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の爆撃によって破壊された。戦後コースや施設が修復され、1949年より24時間レースが再開された。
 
1955年にはホームストレート手前で接触したマシンがグランドスタンドへ飛び込み、観客80以上が死傷する大惨事が発生(''[[1955年のル・マン24時間レース]]を参照'')。以後、コーナーの曲率 ([[曲率|R]]) を変更したり、直線区間にコーナーやシケインを追加するなどして走行スピードの減速が図られた。
 
1990年にはユノディエールに2ヵ所のシケインを設置したほか、ピットビルやピットロード、[[パドック]]の近代化工事が行われた。その後もコース前半の常設区間(ダンロップ・カーブ〜テルトル・ルージュ)の改修が続けられたが、南側の公道区間(ミュルサンヌ〜アルナージュ)はほぼ変わらぬ形を保っている。
 
コース全長の変遷<ref>"[http://ms.toyota.co.jp/jp/wec/special/circuit-de-la-sarthe-01.html サルト・サーキット徹底攻略「名勝負の舞台、ル・マン24時間サーキットを巡る」(4/4)]". トヨタ・モータースポーツ.(2013年)2013年6月11日閲覧。</ref>
#(1923年 - 1928年)'''17.262km'''
#(1929年 - 1931年)'''16.340km''' - 鋭角のポンリュー・ヘアピンを複合コーナーに変更し、922m短縮。
#(1932年 - 1955年)'''13.492km''' - 北側部分を短縮し、ダンロップ・カーブ〜テルトル・ルージュ区間を新設。
#(1956年 - 1967年)'''13.461km''' - ホームストレートを拡張し、ダンロップ・カーブの半径を変更。
#(1968年 - 1971年)'''13.469km''' - ホームストレート前にフォード・シケインを新設。
#(1972年 - 1978年)'''13.640km''' - ポルシェ・カーブ以降にコーナー区間を設置。
#(1979年 - 1985年)'''13.626km''' - テルトル・ルージュを直角コーナーから50Rに変更。
#(1986年)'''13.528km''' - ミュルサンヌ・コーナーの交差点が十字路からロータリーに変更されたため、専用コースでショートカット。
#(1987年 - 1989年)'''13.535km''' - ダンロップ・シケイン設置。
#(1990年 - 1996年)'''13.600km''' - ユノディエールに2ヶ所のシケイン設置。
#(1997年 - 2001年)'''13.605km''' - ダンロップ・シケインのレイアウト変更。
#(2002年 - 2005年)'''13.650km''' - ダンロップ・ブリッジ下から森のエスまでレイアウト変更。
#(2006年)'''13.650km'''- ダンロップ・カーブの半径を狭め、グラベルベッドを増幅。
#(2007年 - )'''13.629km''' - テルトル・ルージュの半径を拡大し、3%勾配を付ける。
 
2007年以降の現行レイアウトにおけるラップタイム記録
*予選 - 3分18秒513(2008年、[[ステファン・サラザン]]、[[プジョー・908|プジョー・908HDi FAP]])
*決勝 - 3分19秒074(2010年、[[ロイック・デュバル]]、プジョー・908HDi FAP)
 
== ゲーム ==
[[グランツーリスモ4]]([[PlayStation 2|PS2]])と[[グランツーリスモ5]]([[PlayStation 3|PS3]])にはSarthe Circuit II、[[グランツーリスモ (PSP)|グランツーリスモ]]([[PlayStation Portable|PSP]])にはSarthe Circuit Old、[[Forza Motorsport 3]]([[Xbox 360]])、[[Forza Motorsport 4]]にはOld Mulsanne Circuitとしてシケインの無い旧コースも収録されている。
 
[[Forza Motorsport 3]](Xbox 360)には[[ブガッティ・サーキット]]も収録
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
{{commonscat|Circuit de la Sarthe}}
* [[モータースポーツ]]
* [[サーキットの一覧]]
* [[ブガッティ・サーキット]]
* [[ベントレー]] - 戦前のル・マンで大活躍し、アルナージやミュルサンヌなど、サルトのコーナー名を冠したモデルが存在する
* [[フランス西部自動車クラブ]]
* [[1955年ル・マン24時間レース]] - 観客など86人が亡くなる大惨事となった
* [[ベントレー]] - 戦前のル・マンで大活躍し、[[ベントレー・アルナージ|アルナージ]]や[[ベントレー・ミュルザンヌ (1980-1992)|ミュルザンヌ]]など、サルトのコーナー名を冠したモデルが存在する
 
== 外部リンク ==
* [http://www.lemans.org/ フランス西部自動車クラブ]('''仏語・英語''')
* [http://www.wikimapia.org/#lat=47.936587&lon=0.225048&z=13&l=7&m=a&v=2 サルト・サーキット、ブガッティ・サーキットの衛星写真]([[Wikimapia]]より)
 
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[[Category:ル・マン]]
[[Category:ル・マン24時間レース]]
 
{{Motorsport-stub}}
 
[[de:Le Mans Bugatti Circuit]]