「サルト・サーキット」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[ファイル:Circuit de la sarthe 1906c.svg|thumb|right|180px|1906年ACFグランプリのコース図]]
サルト・サーキットは当初は[[耐久レース]]用ではなく、[[フォーミュラカー|フォーミュラ]]レースの[[フランスグランプリ]]を開催するため、[[フランス西部自動車クラブ]] (ACO) が開設したものである。[[1906年]]にル・マンで第1回ACFグランプリ ([[:en:1906 French Grand Prix|1906 French Grand Prix]]) を開催した時には、ル・マンとサン・カレ、ラ・フェルテ・ベルナールを結んだ1周103.18kmの三角形の公道コースを使用した。[[1921年]]には1周17.262kmの別のコースでフランスGPを開催し、このコースで[[1923年]]より24時間レースを行うようになった([[1929年]]にもフランスGPを開催している)。
 
1921年のコースはピット前からル・マン市中心部へ北上し、ポンリュー・ヘアピンからユノディエールへ折り返すレイアウトだったが、1932年より北側部分をショートカットし、今日のレイアウトの原型となった。
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*予選 - 3分18秒513(2008年、[[ステファン・サラザン]]、[[プジョー・908|プジョー・908HDi FAP]])
*決勝 - 3分19秒074(2010年、[[ロイック・デュバル]]、プジョー・908HDi FAP)
 
== アクセス・周辺施設 ==
[[ファイル:24 Heures du Mans 2011.jpg|thumb|right|200px|ジャコバン広場での公開車検後の記念撮影。]]
ル・マン旧市街区の[[サン=ジュリアン・デュマン大聖堂]]の傍にあるジャコバン広場では、24時間レースウィークの幕開けを告げるイベントとしてプサージ (pesage) と呼ばれる公開車検が行われ<ref>"[http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/lemans_24hours/2011/06/24-3.html ル・マン24時間 ジャコバン広場で公開車検]". 日本ミシュラン.(2011年6月7日)2013年6月13日閲覧。</ref>、出場マシンやドライバーに間近に接することができる。
 
サーキットのメインゲートはル・マン市中心部の[[ル・マン駅]]から車で6km、約15分ほどの距離にある<ref>"[http://ms.toyota.co.jp/jp/wec/special/what-is-le-mans-02.html ル・マンの歴史を支えるもの(2/4)]". トヨタ・モータースポーツ.(2013年)2013年6月13日閲覧。</ref>。交通手段としては2007年に開通した[[路面電車|トラム]]に乗り、サーキット東ゲートにアクセスする方法が便利である<ref>"[http://ms.toyota.co.jp/jp/wec/special/what-is-le-mans-01.html ル・マンの歴史を支えるもの(1/4)]". トヨタ・モータースポーツ.(2013年)2013年6月13日閲覧。</ref>。サーキット各方面の観客席へはシャトルバスが運行されている。
 
サーキットの西隣には[[ル・マン-アルナージュ空港]]があり、レース期間中は自家用機で観戦に訪れる利用者で賑わう。ちなみに、ユノディエールの内側にあった競馬場は、1908年8月8日に[[ライト兄弟]]の兄ウィルバーが公開飛行を行った場所として知られ、その功績を記す石碑が残されている<ref>"[ PARIS-DAKAR-CAIRO 2000/気持ちだけ!? 日刊]". [[菅原義正|TEAM SUGAWARA]].(1999年12月18日)2013年6月13日閲覧。</ref>。
 
メインゲート横には自動車博物館が併設されており、歴代の24時間レース優勝車も展示されている。2011年にはテルトル・ルージュ内側の土地に[[MMAアレナ]]が完成し、地元のサッカークラブ「[[ル・マンUC]]」のホームスタジアムとして利用されている。また、ミュルサンヌの内側には[[ゴルフコース]]がある。
 
== ゲーム ==