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== マリン・クロノメーターの歴史 ==
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=== 大航海時代 ===
{{main|経度法}}
[[大航海時代]]に航海が増加して[[海難事故]]が多発するようになり、現在位置を把握するため精密な緯度や経度の測定法が求められたが、緯度は[[六分儀]]等による天体の位置測定で比較的容易に求められるものの、正確な経度は測定困難であった。この問題を解決するため[[1714年]][[7月8日]]イギリス議会は高精度で経度を測定できる方法の発見に懸賞金を出す内容の[[経度法]]を制定した。経度の測定にはいろいろな方法が考えられたが、その一つが時刻と太陽の位置から測定する方法であった。18世紀初頭もっとも精度の高い時計は[[振り子時計]]であり、すでに充分な精度を出せるようになってはいたが、波による揺れの影響の大きい海上では機能しないため、揺れる船舶の上でも正しい時を刻む高精度の時計が必要とされた。{{main|経度法}}
 
[[大航海時代]]に航海が増加して[[海難事故]]が多発するようになり、現在位置を把握するため精密な緯度や経度の測定法が求められたが、緯度は[[六分儀]]等による天体の位置測定で比較的容易に求められるものの、正確な経度は測定困難であった。この問題を解決するため[[1714年]][[7月8日]]イギリス議会は高精度で経度を測定できる方法の発見に懸賞金を出す内容の[[経度法]]を制定した。経度の測定にはいろいろな方法が考えられたが、その一つが時刻と太陽の位置から測定する方法であった。18世紀初頭もっとも精度の高い時計は[[振り子時計]]であり、すでに充分な精度を出せるようになってはいたが、波による揺れの影響の大きい海上では機能しないため、揺れる船舶の上でも正しい時を刻む高精度の時計が必要とされた。{{main|経度法}}
 
18世紀初頭もっとも精度の高い時計は[[振り子時計]]であり、すでに充分な精度を出せるようになってはいたが、波による揺れの影響の大きい海上では機能しないため、揺れる船舶の上でも正しい時を刻む高精度の時計({{仮リンク|マリン・クロノメーター|en|Marine chronometer}})が必要とされた。
 
[[ファイル:John Harrison Uhrmacher.jpg|right|thumb|150px|ジョン・ハリソン]]
=== ハリソン・クロノメーター ===
[[ファイル:John Harrison Uhrmacher.jpg|right|thumb|150px|ジョン・ハリソン]]
[[1735年]]イギリス人の木工職人(''Carpenter'' の訳語)[[ジョン・ハリソン (時計職人)|ジョン・ハリソン]]は頑丈な[[梁 (建築)|梁]]に揺れや温度変化を吸収するバネを取り付け、ねじを巻いている間も機械が作動し、ねじが巻かれた当初と緩んだ後でも時計の回転力が一定になる装置を備え、温度や揺れに強い[[置時計]]「クロノメーターH1」を製作した。その後[[1759年]]には直径5インチの[[懐中時計]]である4号機「クロノメーターH4」を製作、その誤差はイギリスからジャマイカまで81日間航行した間に8.1秒遅れただけ、すなわち年差にして約30秒という高性能を実現し高精度な時計の代名詞となった。
 
経度法委員会は'''ラーカム・ケンドール'''(''[[:en:Larcum Kendall|Larcum Kendall]]'' 、1721年9月21日-1795年11月22日)に「クロノメーターH4」の複製を依頼、'''ラーカム・ケンドール'''は1769年に「クロノメーターK1」を作成した。この時計は[[イギリス海軍]][[艦艇]]に配備され、[[ジェームズ・クック]]の[[ジェームズ・クック#第2回航海(1772年 - 1775年)|第二次航海]]の際にもその実用性が改めて確認され、イギリス海軍の作戦実行に大幅な改善をもたらし、作戦遂行能力を向上させた。
 
これらの時計は現在旧グリニッジ天文台イギリス海洋博物館に展示されている。
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フランスの'''ピエール・ル・ロワ'''(''[[:en:Pierre Le Roy|Pierre Le Roy]]'' 、1717年-1785年)はデテント式脱進機を発明し、これ以降船舶の位置把握方法が[[LORAN]]に置換されるまでデテント式脱進機を備えることがこの意味での「クロノメーター」と呼ばれるための条件となった。スイスの'''フェルディナント・ベルトゥー'''(''[[:en:Ferdinand Berthoud|Ferdinand Berthoud]]'' 、1727年3月19日-1807年6月20日)やイギリスの'''トーマス・マッジ'''(''[[:en:Thomas Mudge (horologist)|Thomas Mudge]]''、1715年-1794年)らが同時代の製作者として著名である。
 
[[ファイル:Thomas Earnshaw.jpg|right|thumb|150px|トーマス・アーンショウ]]
=== スプリング・デテント式脱進機 ===
[[ファイル:Thomas Earnshaw.jpg|right|thumb|150px|トーマス・アーンショウ]]
'''トーマス・アーンショウ'''(''[[:en:Thomas Earnshaw|Thomas Earnshaw]]'' 、1749年2月4日-1829年3月1日)、'''ジョン・アーノルド'''(''[[:en:John Arnold|John Arnold]]'' 、1736年-1799年8月11日)らは18世紀後半にスプリング・デテント式脱進機を発明し、これまでと比較すれば非常に単純な構造で精度が出るようになったが、どちらが先に発明したのかが当時問題となり今もって判明していない。1790年にトーマス・アーンショウが完成させた「No.928/3815」は事実上の標準製品となり、以降ほぼ全ての製品がこれを手本とした<ref>『軍用時計物語』p.212。</ref>
 
1790年に'''トーマス・アーンショウ'''が完成させた「No.928/3815」は事実上の標準製品となり、以降ほぼ全ての製品がこれを手本とした<ref>『軍用時計物語』p.212。</ref>。
 
=== ピヴォテッド・デテント式脱進機 ===