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彼は母の耶輸陀羅に連れられ仏前に赴き、母から釈迦仏が父親だから「王位を継ぐので財宝を譲って下さい」というように言われ、そのようにすると釈迦は長老・[[舎利弗]]を呼び出家せしめたという説もある。この時の彼の年齢も6歳・9歳・12歳・15歳という諸説があるが、いずれにしても[[沙弥]](比丘となるまでの年少の見習い修行者)となったという。
 
{{要出典範囲|年少の頃は慢心が強く、他の仏弟子を見下していたといわれ、仏より戒められることもあったという。|date=2013年6月}}20歳にして具足戒を受け比丘となった。舎利弗に就いて修行学道し、当初は仏の実子ということもあり特別扱いを受ける事もあったが、その分を弁えてよく制戒を守り多くの比丘にも敬われるようになったという。彼は不言実行を以って密行を全うし、密行第一と称せられたが、釈迦仏より、多くの比丘衆でも学を好むことで、学習第一とも称せられた。
 
なお、ラーフラの忍耐を描いた経典としては羅云忍辱経がある<ref>[http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110727/1311758227 あつし 草莽日記「羅云忍辱経」]</ref>。