「ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット」の版間の差分

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|Time = [[GMT]] -5
|Capacity = 100,000
|Image = [[Image:Circuit Gilles Villeneuve HairpinNAPA 200.jpgJPG|180px250px]]
|Image_caption = The ''Pit Hairpin'' on Circuit Gilles Villeneuve
|Owner = モントリオール市
|Opened = 1978
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'''シルキュイ・ジル・ヴィルヌーヴ'''([[フランス語|仏]]: '''{{lang|fr|Circuit Gilles Villeneuve}}''', ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット)は[[カナダ]]、[[ケベック州]][[モントリオール]]の[[セント・ローレンス川]]のノートルダム島にある[[サーキット]]。全長4,361m。
 
[[ファイル:Circuit Gilles Villeneuve MAM2.JPG|thumb|right|200px|"Salut Gilles"と書かれたスタートライン]]
 
== 概要 ==
ノートルダム島は[[1967年]]の[[モントリオール万博]]の会場となった[[人工島]]で、セント・ローレンス川の中洲浮かぶ[[人地下鉄島]]掘った土砂を埋め立てて造成された。その後は公園として利用され、[[1976年]]の[[モントリオールオリンピック]]では[[ボート]]競技の会場にもなった。モントリオール中心街から地下鉄でアクセスすることができ、レースウィーク以外は市民の憩いの場となっている。島内には公営の[[モンレアル賭博場|モントリオール・カジノ]](万博のフランス館)もある。
 
[[1978年]]より[[モスポート・インターナショナル・レースウェイ|モスポート・パーク]]に代わって[[フォーミュラ1|F1]][[カナダグランプリ|カナダGP]]の開催地となり、[[1987年]]と[[2009年]]を除いて毎年開催されている。F1以外では[[世界スポーツプロトタイプカー選手権|WSPC]]や[[チャンプカー・ワールド・シリーズ|チャンプカー]]のレースも行われていた。
 
[[ファイル:Circuit Gilles Villeneuve MAM2.JPG|thumb|rightleft|200px160px|"Salut Gilles"と書かれたスタートライン]]
サーキットが建設された当初の名称はその中州の名から'''サーキット・イル・ノートルダム'''(Circuit Île Notre-Dame)と呼ばれていたが、[[1982年]]に地元ケベック出身のF1ドライバー'''[[ジル・ヴィルヌーヴ]]'''が事故死したため、業績を讃えてその名を冠することとなった。スタートライン上には"Salut Gilles"(やあ、ジル)とペイントされている。
 
水と緑に囲まれた美しい環境や、開放的な観客の雰囲気から、当地でのレースを楽しみにするF1関係者は多い。以前はレースウィーク前日に、各チームのメカニックがガレージの不用品で「手漕ぎボート」を造り、ピット裏手にあるオリンピックのボートコースで競争するイベントが毎年催されていた。
公園内の周回道路を利用したコースは、ストレートをヘアピンと5つの[[シケイン]]でつないだ典型的なストップ・アンド・ゴー・タイプのサーキットで、高速からのブレーキングが難しく、ブレーキパッドの消耗も厳しい。エスケープゾーンが狭いため、コースオフがクラッシュにつながり[[セーフティカー]]の出動場面がよく見られる。
 
== コースレイアウト ==
水と緑に囲まれた美しい環境や、開放的な観客の雰囲気から、当地でのレースを楽しみにするF1関係者は多い。以前はレースウィーク前日に、各チームのメカニックがガレージの不用品で「手漕ぎボート」を造り、オリンピックのボートコースで競争するイベントが毎年催されていた。
[[ファイル:Circuit Gilles Villeneuve Famous WallHairpin.jpg|thumb|right|240px220px|最終コーナー出口の「チャンットヘアピの壁」]]
[[ファイル:Circuit Gilles Villeneuve Famous Wall.jpg|thumb|right|220px|最終コーナー出口の「チャンピオンの壁」]]
公園内の周回道路を利用したコースは、ストレートをヘアピンと5つの[[シケイン]]でつないだ典型的なストップ・アンド・ゴー・タイプのサーキットで、優れたトラクション性能が要求される。[[ダウンフォース]]を削って走るため高速からのブレーキングが難しく、ブレーキパッドの消耗も厳しい。エスケープゾーンが狭いため、コースオフがクラッシュにつながり[[セーフティカー]]の出動場面がよく見られる。
 
== コースレイアウト ==
[[ファイル:Circuit Gilles Villeneuve Famous Wall.jpg|thumb|right|240px|最終コーナー出口の「チャンピオンの壁」]]
当初はスタート・フィニッシュラインや[[ピット (サーキット)|ピット]]がヘアピンコーナーの出口(コース図右側)にあったが、その後反対方向(コース図左側)へ移設された。
 
コントロールラインを通過し、右に少し振った直後に急減速して1コーナーに侵入する。入り口が非常に狭く、スタート直後は混乱が起こりやすい。「[[アイルトン・セナ|セナ]]」の名が付けられた2コーナーから右に大きく回り込みながら加速する。3・4コーナーのシケインから7コーナーまではテクニカルセクションが続く。4・5コーナーは左右をコンクリートウォールに囲まれている
 
バックストレッチは道幅が狭く、ランオフも非常に狭いエリア。8・9コーナーのシケインを通過し、オールドピットヘアピンを抜けると1km以上の全開区間。以前はヘアピン立ち上がりに高速S字コーナーがあったが、安全面からほぼ直線に近いゆるやかなカーブに改修された。
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== 出来事 ==
*1978年のF1初開催時には、ジル・ヴィルヌーヴが自身の初優勝(カナダ人としても初優勝)を達成した。
*1982年にはスタートで[[リカルド・パレッティ]]が[[ディディエ・ピローニ]]のマシンに追突し、パレッティが死亡した。
*[[1989年]]には[[ティエリー・ブーツェン]]、[[1995年]]には[[ジャン・アレジ]]、[[2007年]]には[[ルイス・ハミルトン]]、2008年には[[ロバート・クビサ]]が初優勝を記録した。ブーツェンはF1通算96戦目、アレジは92戦目と、共に遅咲きの初優勝であった。とりわけアレジは、ジルと同じカーナンバー27のフェラーリを駆っての勝利であった。また、クビサは前年同サーキットで大クラッシュして次戦欠場していた。
*1990年の[[スポーツカー世界選手権]] (WSPC) のレースでは、マシン床下のダウンフォースによって[[マンホールの蓋]]が吸い上げられ宙に舞い、[[ポルシェ・962]]を直撃してマシンが炎上した。
*サーキットが公園内にあるため、過去にはコース上に出てきた小動物をレーシングカーが轢いてしまう事故もあった。[[2007年カナダグランプリ|2007年のカナダGP]]では[[アンソニー・デビッドソン]]が[[ウッドチャック]]と衝突してしまった。
*[[2011年カナダグランプリ|2011年のカナダGP]]ではレース開始前から降りしきる雨により2時間以上の中断を挟んでの、4時間4分というF1史上最長のレースとなった。更に変わりゆくコンディションとコース特性が合わさってアクシデントが多発し、史上最多となる6度のセーフティカー出動が見られた。レースは中盤に接触で最後尾に落ちた[[ジェンソン・バトン]]が怒涛の追い上げで順位を上げていき、残り5周の時点で2位に浮上。更にはトップを走っていた[[セバスチャン・ベッテル]]を最終ラップに抜き去っての優勝という劇的な幕切れとなった。