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1845年から[[1849年]]まで[[ジェームズ・ポーク]]大統領の国務長官を、その後[[1853年]]から1856年まで駐英国大使を務めた。彼は[[1856年]]に大統領に選出され、[[1857年]]3月4日から[[1861年]]3月4日まで在任した。
 
[[1857年]]9月に始まった{{仮リンク|恐慌 (1857年)|en|Panic of 1857|label=1857年恐慌}}は、[[クリミア戦争]]終結に伴う[[欧州経済領域|欧州市場]]での[[穀物]]価格の急落に端を発する初の世界恐慌となり、[[1859年]]の終結宣言が出された。しかし、その後も経済回復の無い状態は[[南北戦争]]まで続いた。この事も世論が彼に批判的となった理由の一つである。
 
なお、[[1859年]]([[安政]]6年)には日本の[[江戸幕府]]における[[神奈川奉行]]兼[[外国奉行]]で、[[日米修好通商条約]]批准書交換使節([[万延元年遣米使節]])として渡米した[[新見正興]]と謁見した。大統領として特に実績のない彼にとっては、日本史の舞台に登場する数少ない出来事である。