「野岩羽線」の版間の差分

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'''野岩羽線'''(やがんうせん)は明治時代から[[栃木県]][[今市市|今市]]から[[福島県]][[会津若松市|会津若松]]を経由して、[[山形県]][[米沢市|米沢]]に至る、[[会津西街道|下野街道]]沿いに[[鉄道]]を敷設することで[[会津]]・[[奥羽本線]]方面の短絡線を目的とした路線構想である。
 
[[江戸時代]]においては下野街道は[[会津藩]]・[[米沢藩]]はじめ奥州諸藩が参勤交代や物資輸送の際の短絡路として利用されただけでなく、[[日光の社寺|日光]]と[[出羽三山]]を短絡する参詣の旅人などの往来がありいわば[[脇往還|脇街道]]の側面があったことからの鉄道構想である。