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'''アミュンタス3世'''({{lang|el|'''Ἀμύντας Γ΄'''}}、[[ラテン文字]]転記:Amyntas III、?-[[紀元前370年]]、在位[[紀元前393年]]及び[[紀元前392年]] – [[紀元前370年]])は、[[アルゲアス朝]]の[[マケドニア王]]である。父はアリダイオス<ref>[[アレクサンドロス1世 (マケドニア王)]]の子アミュンタスの子(出典:[http://history-of-macedonia.com/2009/04/04/alexander-iii-the-great-family-tree/ history_of_macedonia])</ref>、王妃は{{仮リンク|エウリュディケ1世|en|Eurydice I of Macedon}}。エウリュディケ1世との間に[[アレクサンドロス2世 (マケドニア王)|アレクサンドロス2世]]、[[ペルディッカス3世]]及び[[ピリッポス2世]]の3人の息子が、孫に[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]がいる。
 
アミュンタスは[[アルケラオス1世]]の死後10年続いた混乱の後に即位したが、以後王国の生き残りのために懸命に努力を重ねることとなる<ref name=moritani>[[森谷公俊]]『王妃オリュンピアス―アレクサンドロス大王の母』pp.42、[[筑摩書房]](ちくま新書)、1998年、ISBN 978-4480057457</ref>。
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即位の年、アミュンタスは[[イリュリア]]人により一時王位を追われたが、翌年、[[テッサリア]]人の助力により復位を果たした<ref name=moritani/>。アルケラオス1世時代以来王家と関係の深かった、[[ラリサ]]の{{仮リンク|アレウアス家|en|Aleuadae}}が支援したと考えられている。
 
アミュンタスは国土への侵入を繰り返すイリュリア人の脅威に対抗するため、{{仮リンク|オリュントス|en|Olynthus}}市を盟主とする{{仮リンク|カルキディア同盟|en|Chalkidian League}}と提携し、支援と引き換えにオリュントスに領土の一部を割譲した<ref name=moritani/>。このときオリュントスが得た領土内の木材は[[アテナイ]]艦隊の強化に使用されたが、この代価によりオリュントスの国力増大を招いたことから、アミュンタスは他の同盟国を求め、{{仮リンク|オドリュサイ王国|en|Odrysian kingdom}}の王{{仮リンク|コテュス1世 (オドリュサイ王)|label=コテュス1世|en|Cotys I (Odrysian)}}と連携した。コテュス1世の娘は既に[[アテナイ]]の[[将軍職 (アテナイ)|将軍]][[イフィクラテース]]と結婚していたため、アミュンタスはイフィクラテースを養子とすることとした。
 
{{仮リンク|アンタルキダスの和約|en|Peace of Antalcidas}}の後、[[スパルタ]]はギリシア北部における自己の存在感を回復することを望んでいた。[[紀元前385年]]、{{仮リンク|バルデュリス|en|Bardyllis}}率いるイリュリア人は、[[エピロス王]][[アルケタス1世 (エピロス王)|アルケタス1世]]を復位させることを画策した[[シラクサ]]の[[ディオニュシオス1世]]の扇動と援助を受け[[イピロス]]を攻撃した<ref>''A History of Greece to 322 B.C.'' by N. G. L. Hammond. ISBN 0-19-873095-0, 1986, page 479, "Molossi, Alcetas, who was a refugee at his court, Dionysius sent a supply of arms and 2,000 troops to the Illyrians, who burst into Epirus and slaughtered 15,000 Molossians. Sparta intervened as soon as they had learned of the events and expelled the Illyrians, but Alcetas had regained his..."</ref>。このような情勢のもと、アミュンタスはスパルタの援助を求めた。スパルタは、[[古代ギリシア|ギリシア]][[覇権]]を巡るライバルであったアテナイとテーバイに支持されているギリシア北部の新興勢力であったオリュントスを打ち破るという動機もあり、アミュンタスとの盟約を締結した。[[紀元前379年]]、アミュンタスはスパルタの支援のもと、オリュントスの勢力を削減することに成功した。更に、アミュンタスは[[紀元前372年]]、[[テッサリア]]の支配者{{仮リンク|フェライのイアソン|en|Jason of Pherae}}と[[アテナイ]]との同盟に参加した。[[紀元前371年]]にスパルタで開かれた全ギリシアの和平会議の席上では、アミュンタスはアテナイへの賛同票を投じ、アテナイが[[アンフィポリス]]を回復する票決に貢献した<ref>[[アイスキネス]] - On the Embassy [http://www.fordham.edu/Halsall/ancient/aeschines-embassy.html 2.32]</ref><ref>History of Greece [http://books.google.com/books?id=5hcPAAAAYAAJ&pg=PA336&dq=371+BC+Amyntas+Amphipolis#PPA339,M1] by George Grote</ref>。
 
オリュントスに勝利したアミュンタスは、アテナイとの間で条約を締結し、木材の代価を自らの収入とし続けることが可能となった。アミュンタスは[[ピレウス]]にあるアテナイの将軍{{仮リンク|ティモテオス (アテナイの将軍)|label=ティモテオス|en|Timotheus (general)}}の家へ木材を送っている。
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[[Category:マケドニア王国の君主]]
[[Category:生年不明]]