「セテワヨ・カムパンデ」の版間の差分

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== 略歴 ==
ズールー国王である[[w:Mpande|ムパンデ]]の第1子として誕生。ムパンデの死去後、国王に即位して慣習により新首都を建設、「[[w:Ulundi, KwaZulu-Natal|ウルンディ]]」と名づけた。初代国王の[[シャカ・ズールー|シャカ]]が創立した軍制を再び採用するとともに、[[マスケット銃]]をインビと呼ばれる連隊に配備するなどの軍備増強を行った。
[[画像:Cetshwayo ka Mpande, cropped.jpg|150px|left|thumb|ズールー戦争後、ロンドンでのセテワヨ]]
 
セテワヨは、国内に在住するキリスト教宣教師を追放し、1877年にはイギリス植民地との国境線付近でイギリス人測量士を拘束した。