「ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)」の版間の差分
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サバネーエフはチャイコフスキーが第5交響曲をタネーエフに見せに来たときのことも追想する。タネーエフはピアノで原稿の一部を弾き始めた。「タネーエフは独特の学者ぶった物言いで落ち度と考えるものを示し始め、それによってチャイコフスキーをさらに大きな失望へと突き落とした。チャイコフスキーは楽譜をつかむと赤鉛筆で『酷いゴミ』と書きなぐった。その刑罰にもまだ満足せず、楽譜を半分に引き裂いて床に投げ捨てた。そして部屋から走り出てしまった。タネーエフは落胆して楽譜を拾い私にこういった。『ピョートル・イリイチは全てを深刻にとらえるんだ。結局彼自身が私の意見を求めたのに』<ref>Pozansky, ''Tchaikovsky Through Others' Eyes'', 216</ref>…」
《ピアノ協奏曲 第3番》に関しては、タネーエフは独奏パートに典型的な超絶技巧が欠けていると思った。チャイコフスキーはジロティに、タネーエフも協奏曲については自分と同じく評価が低いと告げている。だが、その会見の後、チャイコフスキーの弟[[モデスト・チャイコフスキー|モデスト]]はジロティに対し、兄の恐れは続かないだろうという彼の確信を述べている。モデストはタネーエフが下した評価に疑問を差し挟むことはしなかったものの、チャイコフスキーは既に[[ディエメ]]に対して協奏曲の完成を約束しており、何より約束を破らないことを証明したいだろうから総譜を見せたがって
その後ひと月もしないうちに、チャイコフスキーは息を引き取った。
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チャイコフスキーの伝記作家で音楽学者のデヴィッド・ブラウンによると、タネーエフが作曲者に指摘したところの第1楽章の欠点は、大規模な管弦楽の楽章を独奏者一人と管弦楽用に編曲したことによる不可避の帰結だという。<ref>Brown, 389.</ref>ブラウンは、既に作曲した音楽の本質を書き直す意思は作曲者に全くなかったとする。主に、そもそも管弦楽のテクスチュアであるものをピアノ独奏に変換し、あるいは独奏者が存在するようにするためにテクスチュアのアイディアを引き出し、あるいは既にあるものをピアノ風の装飾で上塗りしたというのである。製図板にまで完全に戻って新たに音楽的なアイディアを発想し直すのではなくて、既に書いたものを本質的には再配置することで、作曲者の努力によって創造されたものが「不愉快な」―作曲者自身がこの曲についてジロティに述べる際に使った言葉である―ものであると明らかになりそうであったのだ。<ref>Brown, 389.</ref>
ブラウンはさらにこう続ける。「しかし問題の根はこれよりさらに深い。第5交響曲はチャイコフスキーが西側の交響曲の形式として見出したものと、彼自身の独創的な発想の融合によって決定付けられており、それが多くの点において見事に成功している。つまるところ最も重要なのは、彼の音楽の創造が先進性を勝ち得たのは、そのような興味に端を発する要求たちが衝突して生じた不調和においてであったということだ。もしも、彼が1892年に予定通り変ホ長調の交響曲に着手した際、彼がまだその時既に出来上がっていた筋書きに則ってやっていく気があったなら、彼はすぐさまそれを投げ捨てたことだろう。なぜなら、古臭い造型によって純粋な音楽体験ではない、他の事柄ばかりが目立ってくるのは思いも及ばないことだからだ。
しかしながら―本当にしかしながら―チャイコフスキーはこの曲に人間味に欠けた性質があることを既に理解していたのである。それがこの曲を破棄すると最初に決め、後にこの曲の欠点ではなく長所が活かされるような形式へと改作した理由である。モールスの「聴く者を疲弊させる表現力」についてのコメントは一考に値する。ピアノ協奏曲題3番が「一級品ではない」のは、第5交響曲や悲愴交
▲ブラウンはさらにこう続ける。「しかし問題の根はこれよりさらに深い。第5交響曲はチャイコフスキーが西側の交響曲の形式として見出したものと、彼自身の独創的な発想の融合によって決定付けられており、それが多くの点において見事に成功している。つまるところ最も重要なのは、彼の音楽の創造が先進性を勝ち得たのは、そのような興味に端を発する要求たちが衝突して生じた不調和においてであったということだ。もしも、彼が1892年に予定通り変ホ長調の交響曲に着手した際、彼がまだその時既に出来上がっていた筋書きに則ってやっていく気があったなら、彼はすぐさまそれを投げ捨てたことだろう。なぜなら、古臭い造型によって純粋な音楽体験ではない、他の事柄ばかりが目立ってくるのは思いも及ばないことだからだ。-- as Tchaikovsky himself certainly perceived when he came to scrutinize his finished sketches. If anything, the E flat symphony attempted to take the experiment of the Fifth Symphony further, hazarding a more total submission to the Western tradition, and despite Semyon Bogatirev’s conscious attempt to revitalize Tchaikovsky’s sketches, the piece remains faceless, given not the slightest hint of the blazing originality and shattering expressive force of the symphony yet to come. Thus it was not only that the Third Piano Concerto was handicapped by the nature of its earlier incarnation; that incarnation was less than first rate in materials <ref>Morse, 389-390</ref>."
「まばゆい独自性の手がかりすら与えない」という点にも議論の余地があるが、こちらの方が擁護はたやすい。チャイコフスキーが交響曲を再構成することを選んだために、彼があらゆる手を尽くしたことで作品は新鮮さを失ったものになったのである。[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|第1協奏曲]]を聴いてから第3協奏曲を聴けば、この点を確認することができるだろう。チャイコフスキーが協奏曲と付き合い続けるのを嫌がったということも、ひとつの理由となる。それが彼が重要な作品のいくつかにおいて繰り返していたことであったとしてもだ。ただし、第3番が第1番よりも創意に欠けていたとしても、この協奏曲全体に美点がないということを意味するわけではない。
伝記作者であり音楽学者のジョン・ワラック(John Warrack)は、違う側面から第3協奏曲の価値について述べている。「純粋に管弦楽のための素材から改作されたというしるしはほとんど見られない。ピアノパートの音形は自然なものである。オーケストラが独立した幅広いメロディーに集中しているとき、ピアノのパッセージは装飾的な役割以上のものはほぼ果たしていないが、これはチャイコフスキーのピアノ協奏曲の様式から外れていない」<ref>John Warrack,'' Tchaikovsky Symphonies and Concertos'' (Seattle: University of Washington Press, 1969), 46-47</ref>。
▲しかしながら―本当にしかしながら―チャイコフスキーはこの曲に人間味に欠けた性質があることを既に理解していたのである。それがこの曲を破棄すると最初に決め、後にこの曲の欠点ではなく長所が活かされるような形式へと改作した理由である。モールスの「聴く者を疲弊させる表現力」についてのコメントは一考に値する。ピアノ協奏曲題3番が「一級品ではない」のは、第5交響曲や悲愴交響響曲、またピアノ協奏曲第1番ほどには圧倒的な表現力がないからであろうか? この点に関しては議論の余地があるにせよ、それがチャイコフスキーがそもそも変ホ調交響曲をピアノ協奏曲へと書き直した理由ではない。
ワラックが矛盾していると考えることはできるだろうか? 彼は「改作のしるしはほとんど見られない」という一方で、「パッセージは……装飾的な役割以上のものはほとんど果たしていない」、このようなパッセージは他の2曲によりも第3番に見られると認めている。これ自体が悪いことではないだろうが、素材の提示と配列におけるバランスをとらずにオーケストラを「独立した幅広いメロディー」に集中させていることは、協奏曲が「その素材の段階においてハンディを負っている」というブラウンの立場に利するものだろう。
チャイコフスキーはこの曲が単一楽章のままとなるのか、それとも三楽章制になるのかという最終的な形式のこと、またそもそもコンサート用の楽曲としての体裁をなしているのか否かということを決めるにあたって、ディエメの助力を頼りにしていたのかもしれない。チャイコフスキーは自分の協奏曲とそれに類する形式の作品に対して、献呈予定者からの批評や助言を求めずには居られない性質であった。彼が受け取った批評とそれに対する彼自身の反応はないまぜになっているが、彼がそのように助言を求めた態度は一貫している。ディエメが何かしらの意見を述べていたとして、それが楽曲の大幅な改編に繋がる可能性はあったであろうし、そうなれば曲はおそらくより良いものになったことだろう。それはタネーエフがさらに何かを言っていたとしても同様である。
ブラウンやピアノ協奏曲第3番に対する他の中傷者たちが避けているように思われるのは、この作品が完全に書き終わったものと判定できないという、論議の余地の無い点である。チャイコフスキーは出版のためにこの曲をユルゲンソン社に送らなかった。たとえ委任出版をしたタネーエフには十分に完成しているように見えたとしても、チャイコフスキーがもっと長く生きたとしてこの曲をどのように変更あるいは推敲したかについては手がかりが全く無いのである。
ピアノ協奏曲第3番は[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第10番 (マーラー)|第10交響曲]]あるいは[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]の[[ヴィオラ協奏曲 (バルトーク)|ヴィオラ協奏曲]]よりずっと完成形ではあるが、実際にはそれらと同様音楽上の「もしも」というカテゴリに属していて、それを踏まえた上で捉えられなければならないのである。▼
▲ピアノ協奏曲第3番はマーラーの第10交響曲あるいはバルトークのヴィオラ協奏曲よりずっと完成形ではあるが、実際にはそれらと同様音楽上の「もしも」というカテゴリに属していて、それを踏まえた上で捉えられなければならないのである。
== 楽器編成 ==
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アレグロ・ブリランテ
バスーンによる主要主題の提示で曲は開始される。ソリストがすぐに続き、続いてト長調で第二の主題群の導入を行う。提示部はチャイコフスキーの楽曲ではしばしば見られる3つの主題による形式を取っており、主要主題の後にくる経過句は幾分引き締まった感じを与える。しかしモースの主張するところによれば、トゥッティによる開始主題および主調の確保のあと、すぐさま緊張から解き放たれる。曲は第2協奏曲のように調性的な縛りを強化していきはせず、第2の主題群が離れた調で導入されることにより打ち破られてしまうのである。代わりにチャイコフスキーは「怖気づいてしまったよう」になり、曲は新たな調性の領域にあたる第3の主要主題へと移っていく(
展開部は調子よく始まる。チャイコフスキーは第一主題からその中核をなす生き生きした楽想を抜き出し、[[全音音階]]をなすバスの上で敷衍することでより刺激的なものにしている。同様に賞賛に値するのがのちに現れる、第一主題の断片の拡大がカデンツァに先立つ雄大なカンタービレのパッセージを形成する部分である。音楽的なドラマの頂点において、チャイコフスキーはやっと交響曲の構想から離れる。チャイコフスキーは[[ピアノ協奏曲第2番 (チャイコフスキー)|第2協奏曲]]や「[[協奏的幻想曲 (チャイコフスキー)|協奏的幻想曲]]」において、展開部全体に相当する、音楽的に不可欠な大規模の[[カデンツァ]]を書いている。この2つのカデンツァは、常に見事な名人芸に覆われてはいないとはしても、演奏効果の豊富な助けを得ながら、素材が要求する可能性を効果的に汲みつくしている。第3協奏曲におけるカデンツァは創造性にやや欠け、第二主題の第一楽節にほぼ支配されている<ref>Morse, 390-391</ref>。
ささやかな節約された筆致が続く。再現部は第一主題を入念に変形しており、三小節目で新しい展開が始まり、この新しい楽想を敷衍していく。この部分は、二部からなる第二主題が再現された後にも現れる。コーダではピアノが新たな展開を始め、これは先立って割愛された楽想が発展するときの対旋律となる<ref>Morse, 391</ref>。
チャイコフスキーは独奏パートを、作品全体のパッセージやスケールの無数の流れによって、またカデンツァにおけるトリルの揺らめきを通して、ディエメに適するように仕立てていたと考えられる。ディエメルの弟子の一人である[[ラザール・レヴィ]](Lazare Lévy)はフランスの楽壇に影響を及ぼしたピアニストだが、ディエメについてこのように述べている。「彼の演奏の驚くべき正確さや、名高いトリル、様式の厳格さが、彼を誰もが望むような素晴らしいピアニストにしていた<ref>Schoenberg, 287</ref>」 このような証言を心に留めると、ディエメを想像せずに第3協奏曲を聴くことは難しいだろう。
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* http://www.tchaikovsky-research.org/en/Works/th065.html
* http://www.tchaikovsky-research.org/en/Works/th238.html
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{{チャイコフスキーの協奏曲}}
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