「マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン」の版間の差分

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1764年に[[ハプスブルク=ロートリンゲン家]]のレオポルト大公と結婚、翌1765年にレオポルトが父である皇帝[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]から[[トスカーナ大公国]]を相続したことで[[トスカーナの支配者一覧|トスカーナ大公]]妃となった。
 
1790年にはレオポルトが兄[[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]]から帝位を継承したため皇后となったが、1792年に夫と死別後間もなく自身も死去した。
 
== 子女 ==