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アペルトゥーラ2010では不振にあえいだ。フリオ・コンパラーダ会長は選手獲得に資金を投じないことを決定し、エスタディオ・リベルタドーレス・デ・アメリカの工事に資金を注いだ。その上、ピアッティ、ガンディン、[[ワルテル・アセベド]]、[[ルシアーノ・ベジャ]]などの主力選手がクラブを離れた。[[セサル・ルイス・メノッティ]]GMと[[ダニエル・ガルネーロ]]監督が解任され、[[アントニオ・モハメド]]監督が登用された。モハメド監督はライバルのラシンを1-0で破り、クラブに新たな見地を与えた。国内リーグでは最下位の20位に終わったが、コパ・スダメリカーナでは各ステージを勝ち進み、決勝で[[ゴイアスEC]](ブラジル)をPK戦の末に破って初優勝した。コンパラーダ会長が退任してハビエル・カンテーロ会長が就任し、カンテーロ会長は、状況に応じて選手の放出を行わなければクラブの命取りになるという、深刻な財政問題を明らかにした。2011年のレコパ・スダメリカーナでは[[SCインテルナシオナル]](ブラジル)に敗れ、同年の[[スルガ銀行チャンピオンシップ]]では[[Jリーグカップ]](ナビスコカップ)王者の[[ジュビロ磐田]]に敗れた。アントニオ・モハメド監督が去った後はリーベルのレジェンドである[[ラモン・ディアス]]監督が就任し、コパ・スダメリカーナ2011ではラウンド16で[[LDUキト]]と対戦し、結果的に準優勝するクラブ相手に2試合合計1-2で敗れた。
 
2012/13年シーズンには前期18位と下位に沈み、加えて09/10年シーズンの"貯金"がなくなったことも響いて前期終了時点で降格圏に転落した。後期こそ12位と多少順位を上げたものの降格圏を脱出するまでには至らず、クラブ史上初の降格となってしまった。
 
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