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'''ポマレ5世'''(''Pomare V''、[[1839年]][[11月3日]] - [[1891年]][[6月12日]])は、[[タラヴァオ]]で生まれた[[ポマレ王朝]]最後の王。女王[[ポマレ4世]]の息子として[[1877年]][[9月24日]]に即位した。当時既に[[タヒチ島]]はフランスの法律に則った議会制を採用しており、即位にあたってはフランス総督[[ポール・セル]]の召集によって開かれた[[タヒチ議会]]の承認を得る必要があった。
 
[[1880年]]、[[パナマ運河]]の開通を睨み、太平洋の給地としてタヒチ島の重要性を再認識した[[フランス]]はポマレ5世に対しタヒチ島をフランスの正式な領土とするよう申し入れを行う。フランスはこの見返りとしてポマレ5世に対して生涯王の称号と60,000フランの年金を約束し、[[1880年]][[6月29日]]、ポマレ5世はフランスの併合協定に署名し、タヒチ島は[[フランス領ポリネシア]]となった。これを以って[[ポマレ王朝]]は終焉を迎え、併合法律が批准された[[1880年]][[12月30日]]、ポマレ王朝の国民すべてにフランス国籍が与えられることとなった。
 
== 参考文献 ==