「中川和之」の版間の差分

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|CAP数=
|経歴=[[ベーカーズフィールド・ジャム|ロングビーチ・ジャム]]<br>[[:w:Tampa Bay Strong Dogs|ハーレム・ストロングドッグス]]<br>[[:w:Brooklyn Kings|ブルックリン・キングス]]<br>[[高松ファイブアローズ]]<br>[[:w:Brooklyn Kings|ブルックリン・キングス]]<br>[[ライジング福岡]]<br>[[高松ファイブアローズ]]<br>[[三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ]]
|経歴年=2004-2005<br>2005-2006<br>2006<br>2007<br>2007<br>2008<br>2009<br>2009-2013
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'''中川和之'''('''なかがわ かずゆき'''、[[1982年]][[6月6日]] - )は、[[山口県]][[下関市]]出身のプロ[[バスケットボール選手]]。ポジションは[[ポイントガード]]。身長181cm、体重81kg。バスケットボール選手[[中川直之]]の双子の弟である。
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=== 高校===
「中川兄弟」の名をより決定的に全国に知らしめたのが高校だ。[[山口県立豊浦高等学校|豊浦高校]]に再び兄と共に入学。1年生時から兄と共に試合に出場し、その群を抜いたドリブルとボールハンドリング、1対1やパスで、周りの人々の目を奪った。1年生時のインターハイでベスト16に入ると、その後の国体メンバーにも選出され、ウィンターカップにも出場。2年生時にはNIKE BASKETBALL CAMPにおいて日本人で唯一ベスト5に選出された。3年生時の同CAMPでは兄弟揃ってベスト5に選出されている
 
=== 大学 ===
大学も兄と共に[[専修大学]]に進学。2年生時に関東大学新人戦で初優勝し最優秀選手賞を受賞。この年のインカレでは[[青木康平]]らと共に見事初優勝を果たし優秀選手賞を受賞。専大バスケ部は創部57年目にして悲願の大学チャンピオンとなった。3年生時には関東大学リーグ戦で初優勝。4年生時は学生日本代表のキャプテンを務めた。この年のインカレでは決勝で惜しくも[[慶應義塾大学]]に敗れたものの敢闘賞を受賞。その翌日に渡米する。
 
=== 渡米 ===
インカレ翌日に渡米した2004年は、[[独立リーグ]][[アメリカン・バスケットボール・アソシエーション|ABA]]のロングビーチ・ジャムに入団。日本バスケ史上初の在学中のプロ選手となった。このシーズン途中にNBA[[フェニックス・サンズ]]に所属していた[[田臥勇太]]も加わりチームメイトになった。2005年トルコで行われたユニバーシアードの日本代表(U-24)メンバーに選出され16位に終わった。その後、[[ニューヨーク]]に本拠地を置くABAのハーレム・ストロングドッグスに所属し、日本人で初めてABAのオールスターに選ばれるなど活躍した。シーズン終了後は春季に開催される[[USBL]]のブルックリン・キングスに所属。ブルックリンでのホーム初戦で20得点をあげ会場を沸かせた。10月には[[NBADL]]の[[アイダホ・スタンピード]]のトライアウトを受けたが語学力を理由に不合格にされた。
 
=== bjリーグ ===
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どれだけ出世しても自分がお世話になった人への深い尊敬の念を忘れない、「礼に始まり、礼に終わる」というスポーツマンとして基本的かつ模範的な姿勢を貫いている。高松を退団するにあたっても非常に丁寧なコメントを残している<ref name="高松ファイブアローズ20090629">/</ref>。
 
三菱電機ダイヤモンドドルフィンズに移籍が決まった同時期に[[NBADL]]のトライアウト合格を知らされるが「3度も声をかけてくれたチームを断れない」という理由でアメリカ挑戦を断念した。
 
== 脚注 ==