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== 経歴 ==
[[イギリス]]生まれの舞台俳優で同名の[[タイロン・パワー・Srシニア|タイロン・パワー]](タイロン・パワー二世)を父に持ち、曾つ(曽祖父も同名で、[[アイルランド]]生まれの俳優・コメディアンの[[タイロン・パワー (初代)|タイロン・パワー]]。病弱だった彼の健康のため家族で[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]に移るも、父親は主に[[ニューヨーク]]を基盤に活動しており不在が多く、結局1920年に両親は離婚。子役として母親と共に舞台に立つようになる。数年後にシンシナティに戻り、その地で高校を卒業。
1931年、映画界入りする父に同行し[[ハリウッド]]に向かう。間もなく父は急死するが、彼はしばらくハリウッドに留まり、数本の映画に脇役として出演する。
 
1931年、映画界入りする父に同行し[[ハリウッド]]に向かう。間もなく父は急死するが、彼はしばらくハリウッドに留まり、数本の映画に脇役として出演する。その後[[ブロードウェイ]]の舞台に出演していた時に[[20世紀フォックス]]にスカウトされ、『勝鬨』への出演で若手スターとして売り出した。

[[スエズ (1938年の映画)|スエズ]]』や『[[世紀の楽団]]』などのヒットによりマネー・メイキング・スターのトップ10に名を連ね、1939年には映画雑誌の人気投票で“ハリウッド・キング”に選ばれるなど、フォックスの看板スターの地位を確立した。しかし本人はステレオタイプ的な二枚目役を嫌っており、新境地を開くために舞台に戻ろうとした事もあったという。また、『スエズ』で共演した[[フランス]]の人気女優[[アナベラ (俳優)|アナベラ]]と結婚するが、後に離婚している
また、『スエズ』で共演した[[フランス]]の人気女優[[アナベラ (俳優)|アナベラ]]と結婚するが、後に離婚している。
 
戦時中はアメリカ軍に志願した。戦後、進駐軍の兵士として来日し、[[銀座]]の交差点で交通整理をしたことがある。