「和田京平」の版間の差分

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| 名前 = 和田 京平
| 画像 = Kyohei Wada.JPG
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| リングネーム = 和田 京平
| 本名 = 同じ
| ニックネーム =
| 身長 =
| 体重 =
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1954|11|20}}
| 死亡日 =
| 出身地 = [[東京都]][[足立区]]
| 所属 = フリーランス<BRbr/>全日本プロレス名誉レフェリー
| スポーツ歴 =
| トレーナー =
| デビュー = [[1974年]]
| 引退 =
}}
'''和田 京平'''(わだ きょうへい、[[1954年]][[11月20日]] - )は、[[日本]]の[[プロレス]][[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]。[[東京都]][[足立区]]出身。「和田さん」と呼ばれることはまず無く、愛称は「京平」([[週刊プロレス]]の選手名鑑では「[[河童|かっぱ]]」と表記)。
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また、[[2000年]]まで全日本の社員だった[[仲田龍]](後の[[プロレスリング・ノア]]取締役)と共に[[ジャイアント馬場]]の付き人を10年あまり務め、馬場が亡くなる際には身内以外としては、仲田とともに最期を看取った。リングアナウンサー・仲田龍とレフェリー・和田京平は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。
 
以来、2011年6月の離脱まで全日本プロレス一筋で試合を裁きつづけた。裁いた試合数は延べ1万試合を超え、現在は[[ディファカップ]]([[プロレスリング・ノア]]と[[ZERO1|ZERO1-MAX]]の共催)や[[ダイヤモンド・リング (プロレス)|佐々木健介20周年記念興行]](全日本が全面協力)、[[ビッグマウス|ビッグマウス・ラウド]]でと全日本外でもレフェリングを頼まれている。なお、[[2005年]][[7月10日]]に[[プロレスリング・ノア]]で「三沢vs[[川田利明|川田]]」が組まれた時は、何度もその歴史的カードを一番近くで見ていたために雑誌のインタビューを多く受け思い入れを語っていた。その時は「オレ以外が裁かなきゃいけない」とプラチナカードを通しての後輩の成長を願っていたが、大会終了後は「やりたかったけど、オファーくれないんだもん」と、ひょっとしたらと思っていたようだ。その後ノアでは2008年10月に[[PWF]]公認チーフ・レフェリーとして[[世界ジュニアヘビー級王座|世界ジュニアヘビー級選手権試合]]・[[丸藤正道]]vs.[[KENTA]]や、2009年10月の三沢光晴追悼興行[[田上明]]&[[川田利明]]組vs[[KENTA]]&[[秋山準]]組戦を裁く。また、和田のレフェリングを後世に伝えるための活動も精力的に行っている。
 
なお、[[2006年]][[2月11日]]に行われた健介オフィス興行に於いて、仲田龍との「ゴールデンコンビ」が約5年ぶりに復活したほか、[[2007年]]に発売された仲田龍のインタビュー単行本「NOAHを創った男」には、昔話を中心とした対談が掲載されている。
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2011年[[6月19日]]の[[両国国技館]]大会を最後に全日本を離脱。[[6月21日]]、都内ホテルの会見にて正式に離脱を発表した。2年前に取締役を外れ、2010年4月以降はフリーの状態だった<ref>[http://www.daily.co.jp/ring/2011/06/20/0004189471.shtml 和田レフェリー、王道マットに別れ] デイリースポーツ 2011年6月20日</ref>。会見において和田は離脱理由を「同年5月に発生した[[平井伸和]](スーパー・ヘイト)に対する暴行事件に際して、全日本の[[武藤敬司]]社長がマスコミの前に姿を現さなかったことに対し「なぜ社長自ら記者会見を開いて謝罪しないのか」とその対応を批判したところ、それを「会社に対する裏切り」と取られ契約を打ち切られた(事実上の解雇)」と説明している<ref>[http://npn.co.jp/article/detail/01000257/ 武藤前社長の電話1本でクビ…和田京平レフェリーが単独退団会見] - リアルライブ・2011年6月22日</ref><ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/battle/news/CK2011062202000078.html 和田レフェリーが全日解雇] - 中日スポーツ・2011年6月22日</ref>。
 
全日本離脱後は、離脱会見の当日に早くも[[SMASH (格闘技団体)|SMASH]]から和田にレフェリーとしてのオファーがあり、同年7月15日の『SMASH.19』よりメインレフェリーを務めることになった。また和田は「必要であるならばどこでも上がるつもり」と語っており、SMASH以外の団体の興行への参加にも前向きな姿勢を示している<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/201106220009-spnavi.html 全日本離脱の和田京平レフェリーがSMASHに“参戦”] - スポーツナビ・2011年6月22日</ref>。その後、[[女子プロレス]]団体である[[レイナ・コーポレーション|REINA]]でも10月30日の『REINA19』よりレフェリーを務めている<ref>[http://ameblo.jp/ringstars/entry-11054772618.html レフェリー和田京平/レイナ10・30新木場] - RINGSTARS・2011年10月21日</ref>。
 
以降、[[ダイヤモンド・リング (プロレス)|ダイヤモンドリング]]、[[DDTプロレスリング|DDT]]系列、[[Wrestling New Classic|WNC]]、[[スターダム]]など多団体に渡り試合を裁いている。
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== 外部リンク ==
* [http://pure-city.jp/kyohei/ カウント2.9](オフィシャルブログ)
 
{{全日本プロレス}}
 
{{DEFAULTSORT:わた きようへい}}