「ポルトガル領インド」の版間の差分

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|建国時期 = 1510年
|亡国時期 = 1961年
|先代1 = グジャラート・スルタン国
|先旗1 = Gujarat Sultanate Flag.gif
|次代1 = インド
|次旗1 = Flag of India.svg
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[[画像:European settlements in India 1501-1739.png|thumb|left|250px|インドにあったヨーロッパ諸国の植民地]]
 
ポルトガルは{{仮リンク|ムザッファル朝 (グジャラート)|en|Muzaffarid dynasty of Gujarat|label=ムザッファル朝}}{{仮リンク|グジャラート・スルタン国|en|Gujarat Sultanate}}([[グジャラート]]の[[スルタン]]から数カ所の領土を得た。[[ダマン]](正式併合1539年)、[[サルセッテ]]、ボンベイ、[[バサイム]](1534年占領)、[[ディーウ]](1535年併合)である。これらの領土はポルトガル領インドの北部地域となった。ダマンから[[チャウル]]まで海岸沿いに100キロ広がり、内陸へ30から50キロあった。地域は城塞都市バサイムが支配した。ボンベイ(現在のムンバイ)は、1661年にイングランド王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の元へ嫁したポルトガル王女[[キャサリン・オブ・ブラガンザ|カタリナ]] の持参金の一部として割譲された。北部地域のほぼ全域は、{{仮リンク|マラータ独立戦争|en|War of 27 years}}後の1739年に{{仮リンク|ヴァサイーの戦い|en|Battle of Vasai}}で失われ、1779年に[[ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領|ダードラーとナガル・ハヴェーリー]]を獲得した。
{{Clearleft}}
==インド独立後==