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'''瓦葺き'''(かわらぶき)は、[[陶器]]製([[粘土瓦]])や[[石]](石瓦)、[[セメント]](セメント瓦)、[[金属]]製(銅瓦など)のものを用いた、全世界で行われている[[瓦]]を用いた[[屋根]]仕上げ。建材である瓦で屋根を葺いたもの。
 
== 日本の瓦葺きの歴史 ==
[[茅葺飛鳥時代]]屋根など比べ耐水性中国耐火性に優れるため朝鮮半島より、[[梅雨]]があり[[台風寺院]]建築多い[[日本]]では定着技術とともに伝来やすかった。古くは、大陸から伝わった陶器製の[[本瓦]](平・丸瓦を組み合わせるもの)を用いた本瓦葺が主流で、古代から[[寺院]]に使われ、[[安土桃山時代]]以降は城、[[大名屋敷]]、[[土蔵]]に使われた。[[民家]]に導入されたのは[[江戸時代]]中期以降であるが、江戸時代後期になると[[倹約令]]の対象とされた。
 
[[檜皮葺]]・[[茅葺]]屋根などに比べ耐水性・耐火性に優れるため、[[梅雨]]があり[[台風]]の多い[[日本]]に適していた。現存する最古の木造建築である[[法隆寺]]も瓦葺きである。一方でより古い建築様式を残している檜皮葺の[[伊勢神宮]]の場合は、20年に一度、建築物を作り直している。
 
とはいえ、建築物の耐久性については、屋根よりもむしろ、柱の立て方([[礎石]]を用いるか、[[掘立柱]]か)による所が大きい(屋根は葺き替えできるが、柱の腐食は建物自体を立て替えるしかない)。また、瓦の重量を支えるための建物の構造も要求される。[[地震]]の多い日本では、その意味において導入が困難であった。実際に[[東大寺大仏殿]]のように、瓦の重量が建物の負担となり、近現代に改修された例もある。よって日本の建築技術の導入としては、礎石を用いる建築法が優先され、瓦葺きの普及は遅々としたものであった。天皇や貴族の邸宅も、後世まで檜皮葺が中心であった。
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]後期より[[城]]に用いられはじめ、[[安土桃山時代]]以降に[[大名屋敷]]など武士の邸宅に徐々に普及しはじめる。また防火を重要視する[[土蔵]]に使われはじめた。[[民家]]に導入されたのは[[江戸時代]]中期以降であるが、江戸時代後期になると[[倹約令]]の対象とされた。
 
== 瓦葺きの特徴 ==