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[[上総国]][[屋形]]を本拠とし、[[桓武平氏]]の中心人物。武家[[平氏]]の実質的な祖とされる。従五位下[[官位|上総介]]。
一族間の争いで、甥の[[平将門]]と戦ったが、[[天慶]]2年([[939年]])6月に病死。
 
[[関東地方|東国]]の混乱を恐れた[[朱雀天皇]]が密命により[[寛朝僧正|寛朝大僧正]]を海路により派遣、[[空海|弘法大師]]敬刻開眼の[[不動明王]]を奉持した[[寛朝僧正|寛朝大僧正]]が、[[下総国]][[国府]]からの[[平貞盛|貞盛]]勢と合流し平和祈願の護摩を奉修、満願成就し[[平将門|将門]]は討たれた。
 
(参考:[http://www.naritasan.or.jp/introduction/index.html 大本山成田山 - 成田山紹介 - 歴史])
 
最近、「下総介」とする説が多いが、「石ノ森章太郎」の「マンガ日本の歴史(10)」の影響か ?
 
上総、常陸、上野の三国は親王任国なので守はいないが、もし「下総国」の長官なら「下総守」かと思われる。
公式には任期4年とされているのでどちらの職にも就いたこともあるとも考えられるが、その場合一方のみ記すなら「上総介」が適当かと思われる。
 
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