「東アジア反日武装戦線」の版間の差分

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[[1972年]][[12月]]、「東アジア反日武装戦線」という名称が決まった。ただしこの名称は、全ての[[反日主義者]]が共同で使うべきものという認識から、「自分たちのグループ」を表す名称が別途必要であった。彼らは、孤高の存在というイメージから、グループ名を「狼」とした。
 
[[1973年]]は、本格的武装闘争に備えて、爆弾の開発や活動資金の貯蓄に努めた。また、自らの主張を世に訴え、闘争の意義や理念を共有する後続武闘派諸個人・諸グループが、反日武装闘争潮流に合流することを期して、小冊子『[[腹腹時計]]』の執筆、出版に着手した(翌年2月に刊行)。
 
[[1974年]][[8月14日]]、[[昭和天皇]]が乗車した[[お召し列車]]を、鉄橋もろとも爆破しようとした([[虹作戦]])。しかし、決行直前に人に見られたため未遂に終わった。翌日[[大韓民国|韓国]]において、[[在日本朝鮮人総聯合会|朝鮮総連]]メンバーの[[文世光]]が時の大統領[[朴正煕]]を暗殺しようとした事件が発生していた([[文世光事件]])。この事件の犯人文世光は、黒ヘルと多少の繋がりがあるとされる[[プロレタリア軍団]]傘下の高校生組織「[[暴力革命高校生戦線]]」出身の朝鮮総連活動家であった。「狼」は、文世光に呼応するために新たな作戦に着手する。