「里見義通」の版間の差分

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| 戒名 = 天昭院商山正皓居士
| 墓所 = 千葉県南房総市犬掛663
| 官位 = 部大輔、上総介
| 幕府 =
| 主君 =
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'''里見 義通'''(さとみ よしみち、[[文明 (日本)|文明]]13年([[1481年]])?-?)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[大名]]。[[安房国|安房]][[里見氏]]の当主。弟に[[里見実堯|実堯]]、子には[[里見義豊|義豊]]がいる。部大輔。天昭院商山正皓居士。
 
従来の説では、第2代当主であった[[里見成義|成義]]の嫡男で里見氏第3代当主になったものの、病弱のために[[永正]]15年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]([[1518年]][[3月12日]])に38歳で病死したと言われていたが、実際には初代[[里見義実|義実]](系譜上は祖父)の嫡男であり、その没年は大幅に繰り下げられて、安房一国の[[戦国大名]]としての基礎を築いた人物とするのが今日の有力説である。