「思想の科学」の版間の差分

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m →‎概要: 嶋中事件に関連した記述が曖昧なので、当該箇所を参照し加筆した。
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1946年、[[鶴見俊輔]]、[[丸山眞男]]、[[都留重人]]、[[武谷三男]]、[[武田清子]]、[[渡辺慧]]、[[鶴見和子]]の7人の同人が[[先駆社]]を創立し『思想の科学』を創刊した。出版社はその後[[建民社]]、[[講談社]]、[[中央公論新社|中央公論社]]と変った。
 
[[1961年]]12月、「天皇制」特集号([[1962年]]1月号)に際して当時の出版社であった中央公論社が、編集を担当していた[[思想の科学研究会]]に無断で雑誌を断裁した。1961年2月1日右翼少年が中央公論社長の[[嶋中鵬二]]邸宅を訪問し、夫人ならびに家政婦を殺傷した「[[嶋中事件|風流夢譚]]」事件の影響であったと言われている。その後、この号の断裁前に[[三浦義一]]や公安調査庁職員らに読ませていたことが発覚し、[[思想の科学研究会]]はこれに抗議し主要メンバーが中央公論社への執筆を拒否することとなった。そのため「思想の科学」も中央公論社から離れ自主刊行されることになり、[[1962年]]3月に有限会社[[思想の科学社]]を創立した。初代の代表取締役に[[哲学者]]の[[久野収]]が就任した。
 
1996年3月に刊行された5月号をもって通算536号で休刊となり50年の歴史に終止符を打った。