「宇宙の戦士」の版間の差分
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== 議論 ==
ハインラインは『宇宙の戦士』の中で、主人公の歴史哲学の教師であるジャン・V・デュボア機動歩兵退役中佐の言葉を通して、軍事に貢献することで市民としての権利をえられたかつての都市国家(ポリス)時代の[[古代ギリシア|ギリシャ]]、あるいは[[ローマ帝国]]のような[[軍国主義]]的、戦争肯定的な発言を繰り返している。同時に都市国家(ポリス)的側面としては、権利と安全は無償ではなく、国家を防衛するという義務と引き替えに個人の権利とその権利の行使が保障されるという「市民」の基本概念をデュボアが主人公に熱心に説明する場面がある。これは兵役を義務とする現代の国家でも基本的に受け継がれる概念であり、良心的兵役拒否にもボランティア(義勇活動)を義務づける国は決して珍しくはない。▼
[[軍事教練]]という「力による教育」の強調や、敵意を持った勢力に対してはこちらの側も相応の力を有していてはじめて対等に対峙できる、というスタンスが多くの議論を呼んだ問題作。
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安全保障論の観点からは、[[バランス・オブ・パワー]]の基本的な概念といわれる。また作中では「統制された暴力機構」としての軍隊と社会の規律と理想(暴力の行使が異常であることを軍人達が認識している)が語られており、単純な[[保守]]派の[[マッチョ|マチズモ]]とも異なる思想であるが、表面に現れている軍隊万歳{{要出典|date=2013年4月|}}なイメージと、[[共産主義]]と[[自由主義|リベラル]]派を恣意的に混同した上での批判的な態度により、拒否反応を示す読者や論者も多かった。▼
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人類と昆虫型生物の軋轢・昆虫型生物による奇襲攻撃・昆虫型生物の本拠に向けて星から星へ上陸作戦を進める展開は、日本では[[太平洋戦争]]における[[アメリカ合衆国]]と[[大日本帝国]]との関係に酷似していると、一部から指摘された。確かに肥え太った女王・頭脳グモと、考える力の無い兵隊・労働グモで構成されるアレクニドたちの社会は戦時中の日本の恣意的な戯画像、地球連邦は同じく恣意的なアメリカの理想像と通じるものが在る{{要出典|date=2013年4月|}}。が、これはむしろ本書で[[共産主義]]に喩えられているように発表当時における[[社会主義国]]への皮肉であった<ref>Robert A. Heinlein, ''Starship Troopers'', p. 121 of Berkley Medallion paperback edition.</ref>。ハインラインの小説には『[[月は無慈悲な夜の女王]]』をはじめとして、肯定的な役割を演ずる日本人キャラクターも登場しており、簡単に判断するのは難しい。本作にも日本人と思わしき優秀な訓練兵が登場している。
戦争否定派
なお、作者のハインラインは基本的に[[リバタリアニズム|リバタリアン]]であるが、大学中退後すぐに軍隊に入隊(後に病気の為除隊)したりした愛国者であったり、一時期は鉱山での労働体験を通して[[社会主義]]者になるなど多彩な顔を持つ。[[アイザック・アシモフ]]曰く、元々のハインラインはリベラルであったが、ハインラインは保守的な[[バージニア・ガーステンフェルド]]{{enlink|Virginia Heinlein}}と2度目の結婚をしてから変わったという(''I. Asimov: A Memoir'')。ハインラインの後の作品、例えば『[[月は無慈悲な夜の女王]]』は社会主義者あるいはリベラリストの名残も見られ、他にも『[[異星の客]]』のような共産主義的な風刺小説を書いたり、『[[愛に時間を]]』で国のために戦うのは馬鹿げているかのような発言をするなどした。本人の思想をそのまま語っているのではなく、その都度、世界観にあわせたキャラクターの発言ともとりうる。ただし、個人の自由と独立、それを守るために戦うことについての強い愛着と信頼(そして戦わずしてそれを求める者への蔑視)はおおむね一貫している。
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