「スゲヌマ」の版間の差分

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|種 = [[サラブレッド系種]]
|生 = [[1935年]][[4月7日]]
|死 = 不明(1945([[1945]]8月廃用)
|父 = プライオリーパーク
|母 = 国宝
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[[1935年]]に[[千明牧場]]で生まれた。3歳になると騎手兼業の中村広のもとに預けられ調教を受けた。4月に[[中山競馬場]]の新呼戦でデビュー。初戦、2戦めは3着だったが、3戦めからは3連勝を挙げ、東京優駿競走に出走。レースでは圧倒的1番[[人気]]だったタエヤマをゴール前交わし、4連勝で東京優駿競走に優勝した。なお、この年から競走名が東京優駿大競走より変更されている。
 
秋には一転して5連敗、横浜農賞は[[ヒサトモ]]の前に[[着差 (競馬)|クビ差]]2着だった。12月には第1回の京都農林省賞典4歳呼馬([[菊花賞]])が行われたが出走していない。
 
翌[[1939年]]は初戦2着で連敗が6に伸びたが、ふたたび一転して[[帝室御賞典|帝室御賞典(春)]]を含む6連勝。ほかに横浜農賞でテツモン(京都農林省賞典4歳呼馬優勝馬)を大差下している。だが、11月に行われた[[目黒記念|目黒記念(秋)]]で1位入線するものの、のちに興奮剤の使用が発覚し[[失格 #競馬|失格]]となる事件を起こした。
 
結局この事件がもとで目黒記念を最後に引退することとなり、カーネーシービーの名で[[種牡馬]]入りした。[[1943年]]には日高種畜牧場に移り元の名スゲヌマで繋養されたが[[1945年]]8月に廃用。終戦の激変期だったこともあり、その後の消息は不明。種牡馬成績は振るわず産駒に見るべき馬はいない。
 
== 競走成績 ==
* [[1938年]](11戦4勝)
** [[東京優駿|東京優駿競走]]、2着 - 横浜農賞
* [[1939年]](12戦8勝)
** [[帝室御賞典|帝室御賞典(春)]]、横浜特別、横浜農賞
 
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|mmmm = (不詳)
}}
プライオリーパークは[[1929年]]に[[イギリス]]から輸入された[[種牡馬]]。母国宝(競走名:カーネーションおよびコクホウ)は[[帝室御賞典]]など9勝した。国宝の母宝永は公式には血統が不明。1913年にオーストラリアから輸入されたいわゆる[[豪サラ]]のホーヱイ(父ルームバー、母アッヒヤランスとされている)に比定する説がある。当時は血統登録制度が存在しなかったため公式な血統記録が残されておらず、のちに血統登録が始まると血統不詳馬として扱われ、[[サラブレッド系種]]に分類された。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
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|id= ISBN 978-4829302170
}}
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==