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|金 = 1万2988[[イギリス・ポンド|ポンド]]
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'''セフト'''
== 経歴 ==
イギリスの大馬産家[[アーガー・ハーン3世]]の生産所有馬としてイギリスで走ったが、同じアーガー・ハーン3世所有の同世代に、史上11頭目の[[イギリスクラシック三冠|三冠馬]]となる [[バーラム]]がいたため、[[クラシック (競馬)|クラシック]]競走で優勝することはできなかった。[[2000ギニー]]ではバーラムとセフトで1、2着となっている。ほか[[エクリプスステークス]]で2着、エプソムダービーでは4着となっているが、バーラムと比べると短距離傾向が強く、最終的に獲得した[[重賞]]はジャージーステークスなど、いずれも距離8[[ハロン (単位)|ハロン]]以下の3つの下級重賞のみだった。
競走馬引退後は種牡馬として日本に輸入され、官営の日高種畜場に繋養された。この時期は種牡馬の爛熟期であり、1930年代の日本競馬を支えた[[小岩井農場]]の[[シアンモア]]、[[下総御料牧場]]の[[トウルヌソル]]、その後を担った[[プリメロ]]や[[ダイオライト]]、[[持込馬]]の[[月友]]など、数多くの競争相手がいる渦中であったが、2年目の産駒から[[ハヤタケ]]が京都農林省賞典
牡馬クラシックに圧倒的な強さを見せたプリメロ、[[天皇賞]]に強かった国産種牡馬の雄[[クモハタ]]に対し、セフトは牝馬クラシックに強く、女優[[高峰三枝子]]所有の二冠牝馬[[スウヰイスー]]を筆頭に、桜花賞、[[優駿牝馬]]合わせて7勝を挙げている。抜きんでた早熟性と軽快なスピードは、7度のレコード勝ちを記録し、セフトにとって初の[[東京優駿]]優勝馬となった[[トキノミノル]]に結実したが、同馬は10戦無敗のまま東京優駿の競走後に[[破傷風]]で死亡した。最良の産駒と目されたトキノミノルを失ったセフトの後継種牡馬は、天皇賞の優勝馬 [[シーマー]]が[[ダイナナホウシユウ]]の父となり気を吐いたが、ほかはトキノミノルと同期の[[イツセイ]]が皐月賞馬[[タイセイホープ]]を生んだ程度で、競走馬としてはトキノミノルに次ぐ実績を残した[[ボストニアン]]などは大きく期待を裏切った。また活躍馬に牝馬が多かったことなどもあり、その父系はやがて続々と来日した輸入種牡馬に圧されて衰退していった。しかし現在でも母系に入ってその血を現代に繋いでいる。
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**'''ダイニカツフジ'''(朝日チャレンジカップ、[[京都大障害|京都大障害・秋]]2回)※1955年度啓衆賞最優秀障害馬
**'''[[シマユキ]]'''([[中山大障害|中山大障害・秋]])
=== おもなブルードメアサイアー産駒 ===▼
▲===おもなブルードメアサイアー産駒===
*[[ミスリラ]](桜花賞)
*[[ヤシマドオター]](桜花賞、天皇賞・秋、[[中山記念|中山記念・秋]])
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|mmmm = Axiom [[ファミリーナンバー|F-No.]][[26号族|26]]
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父Tetratema
=== おもな近親 ===
*Solario(叔父 - セントレジャーステークス、[[アスコットゴールドカップ]]など)
*Musium(従兄 - [[アイリッシュ2000ギニー]]、[[アイリッシュダービー]]、[[アイリッシュセントレジャー]])
*Phideas(従弟 - アイリッシュ2000ギニー、アイリッシュダービー)
*Castel Fusano(又甥 - [[リュパン賞]]、コンデ賞・[[フランス|仏]]重賞)
== 参考文献 ==
*笠雄二郎『日本サラブレッド配合史-日本百名馬と世界の名血の探究』競馬通信社 [[2000年]] ISBN 4434006282 p.79-p.82
ほか
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