「インタグリオー」の版間の差分

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性 = [[牡馬|牡]]|
色 = [[栗毛]]|
英 = {{langLang|en|Intaglio}}|
種 = [[サラブレッド]]|
生 = [[1899年]]|
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金 = |
}}
'''インタグリオー'''(''{{langLang|en|Intaglio}}''、[[1899年]] - [[1922年]])とは、[[日本]]で最初の本格的な[[サラブレッド]]の[[種牡馬]]である。馬名は[[宝石]]の沈み彫りを意味し、正しくはインタリオと発音する。
 
== 背景 ==
明治39年([[1906年]]に[[馬政局|内閣馬政局]]が発足して[[明治維新|明治政府]]の産馬奨励が始まるやいなや、[[三菱財閥]]が[[岩手県]][[雫石町|雫石]]で経営する[[小岩井農場]]は、農場の存続をかけてサラブレッドの生産に乗り出した。小岩井農場は、[[宮内庁下総御料牧場|下総御料牧場]]長の[[新山荘輔]]に依頼して[[イギリス]]からサラブレッド種牡馬1頭と[[繁殖牝馬]]20頭を選定し、明治42年([[1907年]]に輸入した。インタグリオーの購入価格は1万円だった。
 
この時代、本場のイギリスでも、優良な[[種馬]]ばかり21頭も集めるというのは例がなく、当時の小岩井農場は世界有数のサラブレッド生産牧場であったといえる。
 
しかし明治43年([[1908年]]に[[勝馬投票券|馬券]]の発売が禁止され、政府の生産推奨馬もサラブレッドから[[アングロノルマン]]に切り替えられると、馬産地をサラブレッド不況が襲った。明治44年([[1909年]]に、[[持込馬]]として生まれた小岩井農場産馬の最初の世代が[[セリ]]に上場されたが、当時の日本では特別に上等な血統だったにもかかわらず、19頭中6頭しか買い手がつかず、平均購買価格は860円ほどであった。
 
ところがこの中から桁違いの活躍馬が続出し、ラングトンは当時最高格のレースである[[優勝内国産馬連合競走]]を14馬身差で圧勝、[[コイワヰ]]は45勝の大競走馬となった。
 
== 産駒の活躍 ==
インタグリオーの産駒の最初の世代が競馬にデビューすると、瞬く間に競馬場を席巻した。'''レッドサイモン'''は日本史上初めて[[内国産馬]]として[[外国産馬]]に勝ち、[[帝室御賞典]]を2勝した。この帝室御賞典を2回勝利する競走馬が次に現れるのは80年以上経った[[1988年]]の[[タマモクロス]]を待たねばならない([[1981年]]までは勝ち抜け制度により[[天皇賞]]を一度勝つと、二度と天皇賞には出走できなかった
 
また、インタグリオーの産駒は[[1912年]]のデビュー以来の4年間で、帝室御賞典を4勝、優勝内国産馬連合競走(年2回)を5勝して当時の大競走を勝ちまくった。優勝内国産馬連合競走は一生に1回しか出られないのであるから、この勝利回数は驚異というほかない。
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== 血統の特徴 ==
インタグリオーは、当時大流行した[[セントサイモン]]の直系であるが、そのセントサイモン以外、特別な種牡馬の血を受けていない(当時影響力のあった[[ハンプトン (競走馬)|ハンプトン]](Hampton)、[[ベンドア]]、[[ストックウェル (競走馬)|ストックウェル]]、メルボルン(Melbourne)などの血を持たないこれにより、当時イギリスのサラブレッドの配合でもっともよく行われたセントサイモンの[[近親交配]]([[インブリード]])を行おうとする際に、関係ない馬の近親交配も同時に発生してしまうことを回避できる。このことは、当時の小岩井農場が[[系統繁殖]]([[ラインブリード]])による品種改良という概念を正しく理解していたことを示唆している。
 
== 牝馬の父 ==
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20頭の繁殖牝馬の血統を観察すると、もとからインタグリオーを配合するのに適した血統の牝馬を集めてきたものと思われる。これら20頭の繁殖牝馬は、特に[[小岩井農場の基礎輸入牝馬]]として名高く、100年以上経った21世紀でも子孫が繁栄している。すべてを挙げるとキリがないので代表的なものを以下に記す。
 
=== 第三ビューチフルドリーマー ===
[[ビューチフルドリーマー]]を母とする。子孫は日本を代表する名牝系で、特に娘のバッカナムビューチーの子孫からは日本の歴史的名馬がでた。
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=== 第二アストニシメント ===
アストニシメントを母とする。子孫からはたいへんな数の重賞勝馬が登場している。古くは[[クリフジ]]([[東京優駿|東京優駿競走]]と阪神優駿牝馬と京都農商省賞典4歳呼馬の優勝馬)が[[三冠 (競馬)#変則三冠|変則クラシック三冠]]を制し、JRA賞を受賞した活躍馬だけでも、[[テンモン]](最優秀3歳牝馬と最優秀4歳牝馬)、[[オーカン]](最優秀4歳牝馬)、[[リュウズキ]](最優秀4歳牡馬)、[[メジロマックイーン]]、[[ヤマトキョウダイ]]([[最優秀古牡馬]])、[[カツラシユウホウ]]、[[モンタサン]](最優秀3歳牡馬)、[[ヤマトノハナ]](最優秀古牝馬)、[[ホウラン]](最優秀障害馬)という具合である。そのほかの活躍馬として、[[ヤマイチ]](桜花賞と優駿牝馬の優勝馬)、[[ブロケード]](桜花賞の優勝馬)、[[メジロデュレン]](菊花賞、[[有馬記念]]の優勝馬)、[[ハツピーマイト]](第1回[[天皇賞]]の優勝馬)、[[セントオー]](菊花賞の優勝馬)、ハタカゼ、オーエンス(天皇賞の優勝馬)、[[インテリパワー]]、イーグルシャトー、[[リージェントブラフ]]([[地方競馬]]の活躍馬)。2000年以降も[[ショウナンカンプ]]([[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]])、[[ドリームジャーニー]]([[朝日杯フューチュリティステークス]]、[[宝塚記念]]、有馬記念)、[[オルフェーヴル]]([[三冠 (競馬)|クラシック三冠]]、、宝塚記念、有馬記念)、[[ゴールドシップ]](皐月賞、菊花賞)など枚挙に暇がない。
 
=== 第五アストニシメント ===
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=== 第四フロリースカップ ===
フロリースカップを母とする。仔ではタチバナ、アスパイヤリング、フロラーカップの3頭が帝室御賞典を制覇。このうちフロラーカップはフロリストの名前で繁殖牝馬となり、[[ハクリユウ]]、[[ハクセツ]]、[[スターカツプ]]、アカイシダケの4頭が帝室御賞典に勝ち、[[ミナミホマレ]]は東京優駿競走を勝った。このスターカツプの孫のシラオキは子孫にさらに多くの活躍馬を出し、「シラオキ系」といえば日本で一二を争う名門の系統である(下記参照)。シラオキ以外でもスターカツプの子孫でケンホウ(最優秀4歳牝馬)、[[ナリタハヤブサ]](最優秀ダート馬)、[[ビッグウルフ]]([[ジャパンダートダービー]])が活躍。そのほかの第四フロリースカップの子孫の活躍馬は[[ガーネツト]](最優秀古牝馬)、[[ポレール]](最優秀障害馬)、タイセイホープ、(皐月賞)、ダテテンリュウ(菊花賞)、ヤマニンモアー(天皇賞)、[[メイショウサムソン]](皐月賞・東京優駿)。
 
==== シラオキ ====
[[シラオキ]]はコダマ(年度代表馬)、シンツバメ(皐月賞)の兄弟馬を産んだが、シラオキの子孫の出世頭は[[スペシャルウィーク]](JRA賞特別賞)。[[シスタートウショウ]](最優秀4歳牝馬)、[[ヒデハヤテ]](最優秀3歳牡馬)、[[マチカネフクキタル]](菊花賞)、[[ウオッカ]]([[JRA顕彰馬]])、[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]](桜花賞、優駿牝馬ほか)もシラオキ系。
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*ペットレル(繁殖名:第七アストニシメント)[[帝室御賞典]]、[[優勝内国産馬連合競走]]
*種秀 - ワカクサ、アスコットの母。[[アイネスフウジン]]、[[ハクタイセイ]]の母系祖先
*第二プロポンチス - バンナーゴール(中山4歳牝馬特別の優勝馬)、ウァルドマイン(横浜農林省賞典4歳呼馬の優勝馬)、[[ニットエイト]](菊花賞、天皇賞の優勝馬)、[[レガシーワールド]]([[ジャパンカップ]]の優勝馬)、[[トーホウエンペラー]](東京大賞典の優勝馬)などの母系祖先
*第三アストニシメント - キシュウローレル(最優秀3歳牝馬)、[[トロットスター]](最優秀短距離馬)などの母系祖先
 
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== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=000a00089b|jbis=0000333061}}
 
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