「保守合同」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TempuraDON (会話 | 投稿記録)
Pane-pane (会話 | 投稿記録)
29行目:
だが、日本経済の急速な成長やいわゆる[[鉄のトライアングル|「政・官・財」の癒着構造]]、[[自由民主党の派閥|派閥]]などによる役職・資金配分のシステムや派閥抗争による[[擬似政権交代]]などに支えられる形で時を追うにつれてその政治的基盤は次第に強化されていった。また、緑風会は自身の保守合同への参加は断ったが、やがて会員のほとんどは自民党に移籍し、[[1965年]]に自然消滅した。参議院で一定の勢力を占めていた緑風会を事実上吸収したことで、衆参共に保守合同による一大政党が完成した。
 
その後、自民党は[[四十日抗争]]などの分裂危機、[[新自由クラブ]]結成、[[新生党]]・[[新党さきがけ]]・[[国民新党]]など自民党からの離党・新党結党、新自由クラブ・[[日本社会党]]・[[公明党]]との閣内連立による政権維持、[[1993年]]の下野、[[2007年]]の参議院第二党転落など様々な変化があるが、衆議院第一党としての位置は[[2009年]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]で[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に奪われるまで崩れなかった。しかも3年後の[[2012年]]に[[第46回衆議院議員総選挙]]で衆議院第一党としての位置を奪い返した。また[[2013年]]の[[第23参議院議員通常選挙]]で参議院第一党としての地位も取り戻した。
 
== 脚注・出典 ==