「マニフェスト・デスティニー」の版間の差分

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== 概要 ==
1845年、[[ジョン・オサリヴァン]]が用いたのが初出である。この際は、合衆国の[[テキサス共和国]]の併合を支持する表現として用いられ、のちに合衆国の膨張を「[[文明化]]」・「天命」とみなして[[インディアン]]虐殺、西部侵略を正当化する標語となっていった。19世紀末に「[[フロンティア]]」が事実上消滅すると、合衆国の[[帝国主義米西戦争]]的な領土拡大([[米西戦争]][[ハワイ]]併合など合衆国の[[帝国主義]]的な領土拡大や[[覇権主義]]を正当化するための言葉となった。
 
イギリスの帝国主義政治家[[ジョゼフ・チェンバレン]]も「マニフェスト・デスティニー」の語を使用し、「アングロ・サクソン民族は最も植民地経営に適した民族であり、アフリカに文明をもたらす義務を負っている」と語っている<ref name="坂井(1967)173">[[#坂井(1967)|坂井(1967)]] p.173</ref>。