「御土居」の版間の差分

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中世の京都では[[延暦寺]]、[[八坂神社]]など周辺の寺社が大きな影響力を持っていた。御土居によって洛中と洛外の交通を制限することにより、これらの勢力を削ろうとした、とする説がある{{要出典|date=2013年7月|title=この説を記す学術書・学術論文は?}}。
====美観====
[[ルイス・フロイス]]の『日本史』によると、秀吉が御土居に樹木(竹)を植えさせたのは美観のためであった。一方、中国の「[[羅城]]」に倣って都の四周を土塁で囲んだとの見方もできる{{要出典|date=2013年7月|title=根拠とする史書は?}}
 
==歴史==
1965年(昭和40年)史跡指定
*上京区馬喰町 ([[北野天満宮]]境内)
これら指定地以外にも、北野中学校校庭(中京区西ノ京中保町)や[[大宮交通公園]](北区大宮西脇台)<!--、[[廬山寺]]墓地(上京区)など--><!--上記、上京区北之辺町(廬山寺)と異なるのですか?-->に御土居が残っている。
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画像:OdoiOmiya.jpg|大宮土居町の御土居。中央の凹地が堀。土塁は左側