「ヨハネス1世 (ローマ教皇)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m編集の要約なし
30行目:
 
==選任の背景==
[[西ローマ帝国]]滅亡後、その地の支配者は[[東ゴート族]]の[[テオドリック (東ゴート王)|テオドリック]]となる。彼は[[アリウス派]]に属していたが、[[東ローマ帝国]]の[[ユスティヌス1世]]がアリウス派の弾圧を始めると、両派の和解のため助祭[[ヨハネス1世]]を教皇位につけて使節団と共に東ローマ帝国に派遣した。
 
==死去==
ヨハネス1世はめて東ローマ帝国を訪れた教皇となり、東ローマ側から歓待を受ける。だが、ユスティヌス1世は妥協を示さず、使節団は成果を何一つ手にすることなく帰国した。テオドリックはその結果に激怒し、ヨハネス1世を捉えて牢へ投じた。ヨハネス1世は即位時点でかなりの老齢であり、長旅と老衰からテオドリックの処分を受ける前に獄死する。教皇の死についてはいくつかの伝聞が残され、時代が下った14世紀に作られた[[ラヴェンナ]]のサンタ・マリア・イン・ポルト・フォーリ教会のフレスコ画では、テオドリックが教皇を死に追い込んだ様子が描かれ、さらに下った15世紀には直接の「処刑」の様子を描いた細密画が描かれている。
 
==参考文献==
42行目:
{{Christ-stub}}
{{History-stub}}
{{People-substub}}
{{DEFAULTSORT:よはねす01}}
[[Category:教皇|よはねす01]]