「ヨハネス4世 (トレビゾンド皇帝)」の版間の差分

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この頃になると[[オスマン朝]]の勢力が台頭し、トレビゾンド帝国は成す術も無い状況に追い込まれていた。[[1442年]]にはオスマン朝の[[スルタン]]・[[ムラト2世]]の侵攻を受けて帝国領は略奪を受ける有様であった。
 
このため、ヨハネス4世はオスマン朝に対抗するため、サファービー教団長の[[ジュネイド]]や[[ローマ教皇]]・[[カリストゥス3世 (ローマ教皇)|カリストゥス83世]]、[[イスファンディヤル公国]]や[[カラマン君侯国]]の[[イブラヒム・ベイ]]と同盟を結び、さらに[[白羊朝]]の第2代皇帝・[[ウズン・ハサン]]と婚姻関係を結んで、オスマン朝と対抗した。このため、オスマン朝もヨハネス4世存命中はトレビゾンド帝国においそれと攻撃することが難しくなってしまったのである。
 
1458年、死去。死後、オスマン朝の反撃が始まった。