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[[方法論的個人主義]]に対しては、[[場の雰囲気]]に流される傾向をもつ[[群衆]]と化した個人がより強固なシンボル・指導者を求めて全体主義へと至る危険性が[[エーリヒ・フロム]]によって指摘されている。また、ギリシア語のanomos(法がないこと)に由来する[[アノミー]]の概念を提唱した社会学者の[[デュルケーム]]が、個人の無制限な自由がかえって当人を不安定にすることを問題とした。
 
政治的個人主義は、政治的権威の源泉を個々人のうちに求める。この定義は極めて広いもので原理的には、特権的地位にある者が人民の真の目的を知っていると主張して、その目的のため政治を行うという形態での「全体主義」を含みえる<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。
 
経済的個人主義は、個々人の自由な経済活動によって、最大多数の最大幸福が実現されるとみて、[[社会主義]]を否定する<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。経済活動のうえでは国家による干渉や統制を認めず、自由放任主義をよしとしたのである<ref>上掲宇都宮</ref>
 
倫理的個人主義は、個人が道徳の規準であるとする。カントは、自己発展と自律を組み合わせ、人格の完成は道徳的人格の確立以外にないとした<ref>上記宇都宮</ref>。倫理的個人主義に対しては、[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]は伝統的な価値を全く否定する[[ニヒリズム]]に至るというディレンマを指摘している<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。個人の利益・欲としての幸福だけが道徳の規準になるとすれば、それは[[エゴイズム]]・[[利己主義]]につながり、幸福がもっぱら自己の快楽であるとされれば、それは享楽主義につながり、ドイツの哲学者[[シュティルナー]]の「唯一者」の思想は、この種の個人主義の代表とされた<ref>上掲宇都宮</ref>。
 
認識論的個人主義は、知識の源泉を個人に求めた。ジョン・ロックの[[経験論]]がその典型である<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。経験論者の一人の[[バークリー]]は、存在するのは自意識のみであり、すべては自意識の観念にすぎないと主張した<ref>上掲宇都宮</ref>。