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'''レフ'''・ニコラエヴィチ'''・ナウモフ'''({{lang-ru|'''Лев Николаевич Наумов'''}}/'''''Lev Naumov''''', [[1925年]][[2月12日]] – [[2005年]][[8月21日]] )は[[ソビエト連邦|旧ソ連]]の[[ピアニスト]]・[[作曲家]]・音楽教師。伝説のピアニスト、[[ゲンリフ・ネイガウス]]の高弟として長年後進を指導し、「[[ロシア]]・ピアノ楽派の領袖」との異名を取った。
 
[[1950年]]まで[[モスクワ音楽院]]に学ぶ。[[ピアノ]]以外に、[[ヴィッサリオン・シェバリーン]]や[[アナトーリー・アレクサンドロフ]]に師事して作曲を学んだ。[[1955年]]より、ネイガウスの息子[[スタニスラフ・ネイガウス|スタニスラフ]]や、エフゲニー・マリーニンとともに3人でネイガウスの助手を務め、[[1955年]]ネイガウスが没するとその後任教授に迎えられた。没年まで半世紀にわたってモスクワ音楽院で教鞭を執り、[[アレクセイ・リュビモフ]]や[[アレクセイ・スルタノフ]]、アンドレイ・ホテーエフ、[[アンドレイ・ガヴリーロフ]]、[[コンスタンチン・シチェルバコフ]]、アレクセイ・ナセトキン、エフゲニー・コロリョフ、ボリス・ペトルシャンスキ、ララ・アスタノヴァ、[[イム・ドンヒョク]]ら、数多くの有名な後進を育成した。
 
ほとんど有名ではないが作曲活動もしており、[[交響曲]]や[[弦楽四重奏曲]]、[[ピアノ・ソナタ]]、[[カンタータ]]を一つずつ、またいくつかの[[連作歌曲]]を作曲した。