「チェコスロバキア共産党」の版間の差分

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[[第一次世界大戦]]後の[[1918年]]に独立したチェコスロバキア共和国では、工業地帯である西部の[[ボヘミア]]などで社会主義運動が盛んだった。[[1921年]][[5月16日]]、[[チェコスロバキア社会民主党]]から左派グループが離脱して、チェコスロバキア共産党が成立した。第一次大戦後の独立国としては珍しく[[議会制民主主義]]が安定していたチェコスロバキアでは、共産党は野党として議会に参加し、[[トマーシュ・マサリク]]大統領や[[エドヴァルド・ベネシュ]]大統領の下に社会民主党も参加する共和国政権と対立した。共産党は各種選挙で10%前後の得票率を獲得し、[[ソビエト連邦]]を除くヨーロッパ諸国で最高の支持を集める共産党の一つだった。
 
[[1939年]][[3月14日]]に[[ナチス・ドイツ]]が軍隊をチェコスロバキア領内に進め、国家を[[ドイツ]][[保護領]]の[[ベーメン・メーレン保護領|ボヘミア・モラビア保護領]]([[チェコ]]地域)と独立[[スロバキア共和 (1939年-1945年)|スロバキア共和国]]に[[チェコスロバキア解体|解体]]すると、共産党は直ちに非合法化された。同年に[[第二次世界大戦]]が始まり、[[1940年]]に[[イギリス]]の支援で[[エドヴァルド・ベネシュ]]を大統領とした亡命政府が[[ロンドン]]で成立し、[[1943年]]にソ連と友好協力相互援助条約を締結すると、共産党は亡命政権との協力を進めた。また、ソ連に亡命した共産党員は[[1941年]]からの[[独ソ戦]]でソビエト[[赤軍]]に従軍してドイツ軍と戦った。一方、チェコスロバキア国内でも共産党員は厳しい弾圧を受け、多くの党員が[[強制収容所]]で命を落としながらもナチス支配に抵抗し、赤軍のチェコスロバキア侵入が近づいた[[1944年]]8月には、保護国成立に対抗して結成されていた[[スロバキア共産党]]が亡命政権派と協力して[[スロバキア民衆蜂起]]を実行したが、自力での祖国解放には失敗した。
 
===政権奪取===