「北原遥子」の版間の差分

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北原が正式退団者として扱われていることについて、出典つきで加筆。関連図書『由美子へ』のISBNを13ケタのものに修正。
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しかし、ある[[テレビドラマ]]のカメラテストを受けるよう依頼されて出かけた先で、本番の撮影の被写体になることを頼まれ、顔を映さない条件で応じたもののその約束は守られず、結果的に出演と言うことになってしまった。劇団を通して事前の出演依頼がなかったことで歌劇団の規定に明らかに違反する事態であり、歌劇団とTV側の意見の食い違いの責任を北原が取らされる形で退団が決定(事実上の懲戒免職である)。病気と言う名目で(同年の『[[風と共に去りぬ (宝塚歌劇)|風と共に去りぬ]]』)謹慎休演後の退団で、最後の舞台を踏むことも、袴姿でのファンへの挨拶もできず、本人は大変悔やんでいたという。その後、北原の退団に関しては正式なものとして扱われ、『宝塚歌劇団80年史』には「昭和59年退団」と記載されているという<ref>北原が研究科3年だった時の雪組の組長であった[[銀あけみ]]が「北原を正式退団者にしてくれないのなら、自分たちも辞める」と、歌劇団に対して猛抗議したという。{{Cite web|date=2009-02-05|url=http://coccinelle-king.at.webry.info/200902/article_2.html|title=へそだんご「北原遥子さん、御巣鷹山に散った悲劇のタカラジェンヌの思い出」|publisher=ウェブリブログ|accessdate=2013-04-20}}</ref>。
 
退団後は当時[[石立鉄男]]、[[峰岸徹]]、[[市毛良枝]]、[[夏目雅子]]らが所属していた[[其田事務所]]に入り、宝石メーカー[[デビアス]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]](1985年度のCM好感度NO.1や1986年度の世界最高の広告賞[[クリオ賞]]に輝く)や、映画『ザ・オーディション』、[[ミュージカル]]『カサノバ'85』などに出演。1985年11月に放送される[[東芝日曜劇場]]1500回記念ドラマ『星の旅人たち』の主演も決定し将来を嘱望されていたが、同年8月12日、[[日本航空123便墜落事故]]に巻き込まれ24年の生涯を閉じた(北原入団時の雪組トップだった[[麻実れい]]は搭乗せず難を逃れたため、明暗が分かれる形となった)。横浜の実家に盆で帰省した後、在阪の友人に会いに行くための搭乗だったという(ちなみに、前述の『星の旅人たち』は[[麻生祐未]]を北原の代役に立て、予定通り放送された)。
 
北原の死はあまたの宝塚関係者やファン、親友と互いに認め合う存在だった黒木をはじめ、真矢、涼風、毬藻など同期生にぬぐいきれぬ衝撃と悲嘆をもたらした。凄惨な事故であったが、遺体は目立った損傷(特に顔)を免れたという。