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ヨーロッパ中世においてはコムギのパンが最上級のパンとされたが、特に農民や都市下層住民はコムギに混ぜ物をしたパンやライ麦パンを食べることが多かった。[[飢饉]]の際にはさらに混ぜ物の量は多くなった。また、当時は大きな丸いパンを薄く切ったものをトランショワールと称して[[皿]]の代わりに使用していたことや、穀物以外の栄養源が不足していたこともあり、[[15世紀]]の[[フランス]]・[[オーヴェルニュ]]の貴族はひとりあたり500㎏のパンを年間に消費していた<ref>「中世ヨーロッパ 食の生活史」pp56-57 ブリュノ・ロリウー著 吉田春美訳 原書房 2003年10月4日第1刷</ref>。このころにはすでに都市には[[パン屋]]が成立していたが、都市の当局は住民の生活のためにパンの価格を一定に抑えるよう規制を敷いており、このためコムギなど原料の価格が高くなると価格は一定の代わりにパンの重さは軽くなっていったり混ぜ物が多くなったりした<ref>「中世ヨーロッパ 食の生活史」pp105-106 ブリュノ・ロリウー著 吉田春美訳 原書房 2003年10月4日第1刷</ref>。しかし、都市の当局は一般にパンの質に対しても厳しい規制を敷くのが常であった。パンは人々の生活に欠かせないものであり、パン屋の[[ツンフト]]は肉屋とともに半ば公的な地位を持ち、大きな力を持つことが多かった。この場合のパン屋とは自ら粉を練りパンを焼き上げるまでを一貫して行うもののことで、市民が練った粉を持ち込んで、手間賃をもらってパンを焼くものとの間には明確な格差があった。農村においては領主の設置したパン焼き釜を領民は利用せねばならないという使用強制権が設定されていたが、のちには農村でもパン屋によってパンが焼かれるようになっていった<ref>「中世を旅する人びと」pp118-123 阿部謹也 平凡社 1978年6月14日初版第1刷</ref>。
 
[[18世紀]]ごろからヨーロッパでは徐々に市民の生活が向上し、また農法の改善や生産地の拡大によってコムギ生産が拡大するとともにコムギが食生活の中心となっていき、量の面でもライムギにかわってコムギが中心となっていった<ref>「商業史」p123 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷</ref>。その後、大型の[[オーブン]]の発明や[[製粉]]技術の発達により、大規模なパン製造業者が出現した。[[19世紀]]に入って[[微生物学]]の発達により酵母の存在が突き止められ、[これを産業化して酵母から[[出芽酵母]]を単一培養したイーストを使うことができるようになった。また、酵母の代わりに[[重曹]]や[[ベーキングパウダー]]で膨らませたパンも作られるようになったほか、現代では生地の発酵の管理にドゥコンディショナーを用いるなど発酵の技術の向上もみられる。
 
=== 日本 ===