「ボブ・ホーナー」の版間の差分
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=== ヤクルト時代 ===
浪人寸前のところを{{by|1987年}}4月13日に[[関根潤三]]率いる[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]への入団
最終的には故障で規定打席に達しなかったものの、93試合で打率.327、31本塁打、73打点を記録した。外国人選手が規定打席不足で30本塁打以上を記録したのは、この年のホーナーと{{by|1988年}}の[[ラルフ・ブライアント]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]])、{{by|1989年}}の[[オレステス・デストラーデ]]([[埼玉西武ライオンズ|西武]])、{{by|2003年}}の[[ロベルト・ペタジーニ]]([[読売ジャイアンツ|巨人]])、{{by|2012年}}の[[ウラディミール・バレンティン]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]])らがいる。なお、8月9日[[平和台球場]]での対阪神17回戦で7回表の先頭打者として[[マット・キーオ]]から18号本塁打となったはずの中越え同点ソロアーチを放ったが、続く[[杉浦享]]が左飛に倒れて一死となった後、雷雨で49分間の中断を経て、21時18分にコールドゲームが成立し、6回で試合終了となったため、幻の本塁打が1本ある。18号本塁打の打ち直しは8月12日[[広島市民球場 (初代)|広島]]での対広島16回戦で行われ、またもや7回表の先頭打者での打席で、投手交代したばかりの[[川端順]]が投じた肩口から入る内角のパームボールを叩いた左翼へのソロ本塁打であった。また、8月30日横浜での対大洋21回戦の3回表二死満塁の場面で[[松本豊]]の直球を捉えた左中間への23号本塁打は来日して唯一の満塁弾であり、10月2日神宮での対阪神24回戦の5回一死一塁で[[猪俣隆]]の高めのカーブを捉えて左翼フェンスぎりぎりに運んだ31号2ランが日本での最後の本塁打であった。[[佐々木信也]]はホーナーの本塁打を「所属球団が勝利至上主義ではなかったため、チームの勝利に拘泥せず、伸び伸びと打った雄大なアーチ」と評した。
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