「ヨーゼフ・ロート」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
頭痛 (会話 | 投稿記録)
rv 不要な細分化と意味不明なコメント追加を戻す
頭痛 (会話) による ID:48845809 の版を取り消し 荒らし行為(Wikipedia:Three-revert rule違反、ノート欄での対話拒否の理由による)
1行目:
[[File:Joseph Roth (1926).jpg|thumb|200px|ヨーゼフ・ロート]]
{{portal 文学}}
'''ヨーゼフ・ロート'''('''Joseph Roth''', [[1894年]][[9月2日]] - [[1939年]][[3月27日]])は、[[オーストリア]]の[[ユダヤ系]][[作家]]。[[ガリチア]]の[[シュテットル]]、[[ブロディ]]近郊の[[ドイツ植民]]村シュヴァーベンドルフ [[:de:Schwabendorf|Schwabendorf]]<small>(シュファビ Szwaby、現ピドヒルチ Pidhirci)</small>で生まれたと称していたが、実際は[[ブロディ]]。
 
== 生涯 ==
[[ウィーン]]大学に学び、[[第一次世界大戦]]に従軍した後、[[ジャーナリスト]]として活動する一方で、明晰な文体で物語性に富む小説を次々と発表した主な作品に『果てしなき逃走』『ラデツキー行進曲』『聖なる酔っ払いの伝説』などがある。
=== 生い立ち<!-- Herkunft --> ===
[[ガリチア]]の[[シュテットル]]、[[ブロディ]]近郊の[[ドイツ植民]]村シュヴァーベンドルフ [[:de:Schwabendorf|Schwabendorf]]<small>(シュファビ Szwaby、現ピドヒルチ Pidhirci)</small>で生まれたと称していたが、実際は[[ブロディ]]。[[ウィーン]]大学に学ぶ。
 
=== ウィーンとベルリンでのジャーナリスト<!-- Journalist in Wien und Berlin --> ===
政治的には[[シオニズム]]思想を支持する一方で、多民族が共存していたかつての[[オーストリア・ハンガリー帝国]]に郷愁を抱き続けた。[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の政権掌握後はフランスなど各国を転々と亡命し、パリで病死。大量の飲酒が命を縮めたとも言われている。
[[第一次世界大戦]]に従軍した後、[[ジャーナリスト]]として[[:en:Frankfurter Zeitung]]で活動する。
 
=== 小説家 ===
[[ウィーン]]大学に学び、[[第一次世界大戦]]に従軍した後、[[ジャーナリスト]]として活動する一方で、明晰な文体で物語性に富む小説を次々と発表した主な作品に『果てしなき逃走』『ラデツキー行進曲』『聖なる酔っ払いの伝説』などがある。
 
=== 移民<!-- Emigration --> ===
政治的には[[シオニズム]]思想を支持する一方で、多民族が共存していたかつての[[オーストリア・ハンガリー帝国]]に郷愁を抱き続けた。[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の政権掌握後は、[[1933年]][[1月30日]]にドイツを去り、[[フランス]]など各国を転々と亡命し、パリで病死。大量の飲酒が命を縮めとも言われている
 
=== 最後<!-- Letzte Lebensjahre --> ===
[[パリ]]で病死。大量の飲酒が命を縮めたとも言われている。
 
== 作品 ==