「静岡大空襲」の版間の差分

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[[ImageFile:Shizuoka after the 1945 air raid.JPG|thumb|300px|空襲後の静岡]]
'''静岡大空襲'''(しずおかだいくうしゅう)は、[[太平洋戦争]]末期の[[1945年]](昭和20年)[[6月19日]]深夜から[[6月20日|20日]]未明にかけて、[[アメリカ軍]]の[[B-29 (航空機)|B-29]]爆撃機137機により旧[[静岡市]](現在の静岡市[[葵区]]・[[駿河区]])の[[市街地]]が受けた[[空襲]]である。
 
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空襲の後、丸焼けになった静岡市街に米軍機が飛んできて、「早く降伏すれば贅沢ができる」の文字と、御馳走の写真が刷られたビラ(伝単)をばら撒いた。
[[B-29 (航空機)|B-29]]爆撃機は、[[富士山]]を目標に本土へ飛来してくるので、[[静岡県]]特に[[駿河湾]]沿岸域は、警戒警報や空襲警報がひっきりなしに鳴ったという。また、[[空襲]]以外にも駿河湾に進入した米軍艦の艦載機グラマンが、数機編隊で次々と駿河湾沿岸地域へ飛来し、機銃掃射や波状攻撃を行った。工場や港は勿論、農作業中の人達なども狙われ、生産活動は停止。多くの市民が犠牲になったにもかかわらず、軍の命令で被害情報は全て秘密とされた。
 
 
== その他 ==
*静岡赤十字病院(追手町8番)の周囲も火の海となり、病院前の街路樹もすべて焼け焦げてしまったが、ただ1本のクスノキが3年後に奇跡的に葉を付けてよみがえり、今も空襲を見届けた生き証人として青葉を繁らせている。
 
 
== 脚注 ==
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*[http://homepage2.nifty.com/shizuoka-heiwa/shizuoka.html 静岡平和資料センター]
 
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[[Category:太平洋戦争の戦略爆撃]]
[[Category:静岡市の歴史|たいくうしゆう]]
[[Category:1945年の日本]]
[[Category:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の戦争犯罪]]
 
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