「伊藤大輔 (映画監督)」の版間の差分

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'''伊藤 大輔'''(いとう だいすけ、明治31年([[1898年]][[10月12日]] - 昭和56年([[1981年]][[7月19日]])は、[[日本]]の[[映画監督]]、[[脚本家]]。時代劇映画の基礎を作った名監督の一人であり、「'''時代劇の父'''」とも呼ばれる。
 
==略歴==
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[[1935年]](昭和10年)、37歳。『[[雪之丞変化]]』([[衣笠貞之助]]監督)の脚本を執筆。監督作が不振ななか、シナリオ作家として数々の名作を残す。
 
[[1936年]](昭和11年)、38歳。[[伊丹万作]]、[[衣笠貞之助稲垣浩]]、[[池田義信]]、[[井上金太郎]]、[[小津安二郎]]、[[渡辺邦男]]、[[田坂具隆]]、[[成瀬巳喜男]]、[[村田実]]、[[牛原虚彦]]、[[内田吐夢]]、[[山本嘉次郎]]、[[山中貞雄]]、[[阿部豊]]、[[五所平之助]]、[[衣笠貞之助]]、[[木村荘十二]]、[[溝口健二]]、[[島津保次郎]]、[[清水宏]]、[[鈴木重吉]]、[[野村浩将]]と連名で「[[日本映画監督協会]]」を設立。
 
[[1942年]](昭和17年)、44歳。[[大映京都撮影所|大映京都]]が[[嵐寛寿郎]]を迎え制作した『[[鞍馬天狗横浜に現る]]』を監督。「鞍馬天狗」はアラカンの代表作であるが、大映京都ではこの一本に終わっている。