「アイルランド内戦」の版間の差分

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ダブリンが自由国軍の手に落ちると、戦闘はアイルランド中に拡大し、[[コーク (アイルランド)|コーク]]、[[リムリック]]、[[ウォーターフォード]]などの都市が反条約派により占領され、マンスター共和国の建国が宣言された。しかし反条約派は正規戦を戦える装備を有しておらず、イギリス軍からの装備の提供を受けていた自由国軍は、それらの都市を簡単に奪取した。8月10日、マンスター共和国の最後の砦であったコークは自由国軍により占領され、反乱側の指導者たちは独立戦争時の戦友により処刑された。自由国軍により主要都市が掌握されると、内戦は暗殺を中心にしたゲリラ戦へと変貌していった。同年8月には国防相を務めていた[[マイケル・コリンズ (政治家)|マイケル・コリンズ]]が反条約派によって自宅付近で殺害された<ref>1996年の映画『[[マイケル・コリンズ (映画)|マイケル・コリンズ]]』ではデ・ヴァレラがコリンズ殺害と関係しているかのように見せるシーンがあるが、これは事実ではない。当時デ・ヴァレラが現場付近にいた事は確かであるが、コリンズの暗殺には関与していなかったと考えられている。</ref>。自由国の大統領を務めていた[[アーサー・グリフィス]]も心臓発作により急死し、自由国政府は[[ウィリアム・コスグレイヴ|W・T・コスグレイヴ]]と自由国軍の指揮官[[リチャード・マルケイ]]らにより指導される事になった。
 
 
[[ファイル:Portrait_of_Micheál_Ó_Coileáin_by_Leo_Whelan.jpg|thumb|left|[[アーサー・グリフィス|グリフィス]]の葬儀に出席する[[マイケル・コリンズ (政治家)|コリンズ]] - 1週間後に自身も死亡した。]]
 
=== 虐殺と戦争終結 ===