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{{出典の明記|date=2013年8月}}
[[ファイル:Okinawa City Monorail.jpg|thumb|right|250px|沖縄県で現存する唯一の鉄軌道、[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)]]
[[ファイル:Naha map circa 1930.PNG|thumb|250px|路面電車や軽便鉄道があった[[1930年]]頃の那覇市の地図]]
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== 概要 ==
沖縄県における軌道系公共交通機関は、2003年に開業した[[那覇市]]内の[[沖縄都市モノレール線|モノレール]]が唯一の存在であるが、戦前の[[沖縄本島]]には、[[軽便鉄道]]や[[路面電車]]・[[馬車鉄道]]が存在していた。また、[[サトウキビ]]運搬などを目的とした産業用鉄道も[[南大東島]]をはじめとして各地に存在した。
 
== 歴史 ==
=== 明治時代 ===
沖縄県内で初めて鉄道のレールが敷かれたのは南大東島で、[[1902年]]([[明治]]35年)に手押し[[トロッコ]]鉄道が完成している。また、[[1910年]](明治43年)には沖縄本島でもサトウキビ運搬用の鉄道が導入されている。
 
運輸営業用の本格的な[[鉄道路線]]は、[[1894年]](明治27年)から県外の[[資本家]]などが沖縄本島内での起業を相次いで出願しているが、そのほとんどは却下されたり、あるいは資金力が伴わずに計画倒れに終わっている。
 
{{See also|#幻に終わった鉄道}}
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=== 大正時代 ===
[[ファイル:Okinawa Electric Railway in the vicinity of Tomaritakahashi.JPG|thumb|250px|泊高矼付近(沖縄電気)]]
民間による鉄道計画は明治中期から幾度となく計画されては挫折を繰り返していたが、[[1910年]](明治43年)3月に'''沖縄電気軌道'''(後の'''[[沖縄電気]]''')が特許を受けた軌道敷設計画は唯一実現する運びとなり、[[1914年]][[大正]]3年)5月に運輸営業を行う鉄道としては沖縄初となる路面電車が大門前 - 首里間に開業した。続いて半年後の11月には、東海岸側の西原にあったサトウキビ運搬鉄道を拡張する形で'''沖縄人車軌道'''(後の'''[[沖縄軌道|沖縄馬車軌道]]''')の与那原 - 小那覇間が開業した。
 
一方、明治時代の民間による鉄道計画の大半が挫折したことから、県営による鉄道敷設の気運も高まり、沖縄人車軌道の開業から1か月後の12月には'''[[沖縄県営鉄道]]'''が那覇 - 与那原間を結ぶ軽便鉄道を開業させた。
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=== 昭和時代(戦前) ===
[[ファイル:Kadena Station of Okinawa Prefectural Railways.JPG|thumb|250px|嘉手納駅([[沖縄県営鉄道嘉手納線]])]]
[[昭和]]時代に入ると、沖縄本島では[[道路]]の整備に伴い[[自動車]]交通が発達し、鉄道は[[バス (交通機関)|バス]]との競争に晒される。県営鉄道は[[気動車]](ガソリンカー)を投入するなどして対抗するが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道は利用者の減少で廃止に追い込まれた。この結果、沖縄本島内の鉄道は沖縄県営鉄道と'''[[沖縄軌道]]'''(旧・沖縄馬車軌道)だけとなるが、両者とも[[太平洋戦争]]末期の[[沖縄戦]]の直前である[[1944年]](昭和19年) - [[1945年]](昭和20年)に運行を停止し、鉄道の施設はミスによる引火事故[[空襲]]地上戦によって破壊された。
 
=== 昭和時代(戦後) - 平成時代 ===
[[ファイル:Okinawa Light Railway.jpg|250px|thumb|right|[[浦添市]]にある沖縄県営鉄道嘉手納線の線路]]
[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカの統治下]]に置かれた後は道路の整備が進み、沖縄県営鉄道と沖縄軌道は復旧されることなく消滅した。各地に設置された産業用鉄道も同じような末路を辿ったようであるが、南大東島のサトウキビ運搬鉄道は唯一復旧し、[[1983年]](昭和58年)まで使用されていた。
 
一方、沖縄県が[[日本]]へ復帰した[[1972年]](昭和47年)ごろから那覇市を中心とした地域に軌道系公共交通機関を導入する構想が持ち上がり、[[2003年]](平成15年)8月に運輸営業用の本格的な鉄道としては戦後初となる'''沖縄都市モノレール'''が那覇市内に開業した。
 
[[2005年]](平成17年)12月、政府は[[普天間飛行場]]の[[キャンプ・シュワブ]]沿岸部への移設にあわせ、沖縄本島北部の新振興策を策定する方針を固め、那覇市と[[名護市]]を結ぶ鉄道の建設などを盛り込むことを検討している。
 
なお、[[1975年]](昭和50年) - [[1976年]](昭和51年)に開催された[[沖縄国際海洋博覧会]](沖縄海洋博)では、会場内の交通機関として[[新交通システム]]が導入され、'''沖縄国際海洋博覧会協会'''が期間限定ながら[[軌道法]]に基づき旅客運送を行っていた。
 
== 過去に存在した鉄道 ==
=== 沖縄県営鉄道 ===
{{Main|沖縄県営鉄道}}
[[1914年]](大正3年)12月に[[沖縄県営鉄道与那原線|与那原線]]の那覇 - 与那原間が開業。その後、大正末期までに嘉手納へ向かう[[沖縄県営鉄道嘉手納線|嘉手納線]]や糸満に延びる[[沖縄県営鉄道糸満線|糸満線]]も開業した。太平洋戦争末期の[[1945年]](昭和20年)3月には運行を停止し、戦後は復旧することなくそのまま消滅した。
 
=== 沖縄電気軌道 - 沖縄電気 ===
{{Main|沖縄電気}}
京都の才賀電気商会を経営していた[[才賀藤吉]]が[[1909年]](明治42年)に沖縄電気を創立、続く[[1911年]](明治44年)には沖縄電気軌道を設立して那覇と首里を結ぶ路面電車を計画し、[[1914年]](大正3年)5月に大門前 - 首里間、1917年(大正6年)9月に大門前 - 通堂間が開業した。しかしバスの台頭によって輸送人員が減少したことから[[1933年]](昭和8年)3月に休止となり、同年8月に正式に廃止された。
 
=== 沖縄人車軌道 - 沖縄馬車軌道 - 沖縄軌道 ===
{{Main|沖縄軌道}}
もともとは西原にあった製糖工場にサトウキビを運搬するためのトロッコとして計画されたが、製糖期を除くと使い道がなかったため、旅客運送を主目的とした軌道会社を別に設立したもの。[[1914年]](大正3年)11月に与那原 - 小那覇間が開業し、[[1916年]](大正5年)12月までに与那原 - 泡瀬間全線が開業したが、戦争が激しくなった[[1944年]](昭和19年)の中頃には客車運行を停止したと見られ、戦後は復活することなく消滅した。
 
=== 糸満馬車軌道 ===
{{Main|糸満馬車軌道}}
那覇市と[[糸満市]]を直線的に結んでいた馬車鉄道で、[[1919年]](大正8年)6月に垣花 - 地覇間が開業、[[1920年]](大正9年)5月までに全線が開業した。その後バスの台頭で競争力を失い、[[1935年]](昭和10年)10月に運行を休止。[[1939年]](昭和14年)11月には正式に廃止された。
 
=== 沖縄海洋博で会場内を運行した新交通システム ===
[[1975年]](昭和50年)[[7)7月20日]] - [[1976年]](昭和51年)[[1)1月18日]]に[[本部町]]で開催された[[沖縄国際海洋博覧会]](沖縄海洋博)では、[[神戸製鋼所]]が開発した[[新交通システム]] (KRT) が会場内の交通機関として導入された。
 
財団法人沖縄国際海洋博覧会協会が軌道法に基づき期間限定の旅客運送を行っていたもので、厳密に言えばこれが戦後初めて沖縄で鉄道法規が適用された鉄道路線であり、{{要出典範囲|date=2013年8月|日本初の}}新交通システム営業路線でもある。
 
*路線概要
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=== 玉置商会 - 東洋製糖 - 大日本製糖 - 大東糖業 ===
{{Main|大東糖業南大東事業所の砂糖運搬専用軌道}}
産業用の鉄道を含めると、沖縄県内で初めて鉄道のレールが敷設されたのが南大東島である。現在では'''南大東島砂糖鉄道'''や'''南大東島のシュガートレイン'''などと呼ばれている。島内を環状する線路と港などを連絡する線路で構成され、軌道延長は約30kmに及んだ。サトウキビのほか旅客も便乗扱いで運んでいたという
 
南大東島は明治中期まで無人島であったが、[[1900年]](明治33年)に'''玉置商会'''が同島の事業権を得て開拓が始まり、[[1902年]](明治35年)には製糖の始まりとともにトロッコ用鉄道が完成している。同島の事業権は[[1917年]](大正6年)に'''東洋製糖'''に譲渡され、このとき762mm軌間に改軌して本格的なサトウキビ運搬鉄道となった。なお、東洋製糖は[[1927年]](昭和2年)に'''大日本製糖'''と合併している。
 
南大東島は、太平洋戦争で米軍の空襲や艦砲射撃に晒されて鉄道も破壊されたが、戦後は[[1950年]](昭和25年)に発足した'''大東糖業'''が鉄道を復旧し、再び鉄道によるサトウキビ輸送が行われるようになった。しかし、[[1983年]](昭和58年)春の製糖期を最後に鉄道の使用を中止し、[[1984年]](昭和59年)からは[[貨物自動車|トラック]]輸送に切り替えられている。
 
車両は762mm改軌時に[[蒸気機関車]]を導入し、戦後は[[1956年]](昭和31年)に[[ディーゼル機関車]]を導入している。現在、南大東島には蒸気機関車とディーゼル機関車、客車、貨車が保存されており、沖縄本島でも那覇市壺川東公園([[沖縄県営鉄道与那原線]]那覇 - 古波蔵間の線路跡付近を再開発した地点)にディーゼル機関車が保存されている。
 
=== その他 ===
戦前には南大東島以外にも産業用鉄道が各地に多数存在したが、いずれも[[{{要検証|=太平洋戦争]]末期までに消滅した|date=2013年8月}}と見られる。
 
沖縄本島では現在の[[西原町]]、[[嘉手納町]][[糸満市]]を中心とした地域にサトウキビ運搬鉄道が敷設され、このうち西原町のものは後の[[沖縄軌道]]の原型となっている。[[先島諸島]]では[[石垣島]]と[[宮古島]]にサトウキビ運搬鉄道があり、[[西表島]]の炭坑にもトロッコがあった。また、[[大東諸島]]では前述の南大東島のほか[[北大東村|北大東島]]と[[沖大東島]]に[[リン鉱石]]運搬用のトロッコが存在した。
 
== 幻に終わった鉄道 ==
=== 沖縄鉄道 ===
[[日本鉄道]]に関与した[[大久保利和]]などが[[1894年]](明治27年)、沖縄鉄道として那覇 - 首里 - 与那原間の鉄道敷設を出願した。これが沖縄県内で初の運輸営業鉄道の計画と思われる。[[1895年]](明治28年)には建設区間を那覇 - 首里 - 与那原 - 佐敷間に拡大して再出願するが、[[1898年]](明治31年)に却下された。
 
=== 沖縄電気鉄道 ===
大久保利和などは上記の沖縄鉄道とは別に、那覇 - 首里間の電気鉄道敷設も[[1896年]](明治29年)に出願し、[[1897年]](明治30年)12月に許可された。しかし資金難で着工できず、[[1900年]](明治33年)9月に事業廃止を届け出ている。
 
=== 沖縄起業 ===
[[1906年]](明治39年)に那覇 - 首里間の電気鉄道敷設を出願。続いて首里 - 与那原間や那覇 - 北谷間も出願し、[[1907年]](明治40年)に許可された。しかし資金不足のため、特許が失効した。
 
=== 国頭馬車軌道 ===
名護 - 仲尾次間5.6kmを結ぶ馬車鉄道の計画。[[1918年]](大正7年)3月に軌道敷設が出願され、[[1920年]](大正9年)1月に特許されたが、資金不足のため、[[1921年]](大正10年)4月に特許が失効した。
 
== 現在の鉄道 ==
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== 将来 ==
*[[ 2006年]]、那覇 - 名護間に鉄道を建設する構想が明らかになった。国が一部負担することになっているが事業主体はまだ2013年現在まっ定していない(現在は[[第三セクター]]による運営が有力視されている)<ref>{{Cite news |title=政府、沖縄鉄道構想の支援を検討 普天間跡地に駅 |newspaper=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |agency=産業経済新聞社 |date=2013-8-21 |author= |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130821/plc13082101370001-n1.htm |accessdate= }}</ref>
*沖縄都市モノレールの石嶺入口・[[沖縄国際センター]]経由[[西原入口交差点|西原入口]]まで([[浦添市|浦添]]ルート)での{{要出典範囲|date=2013年8月|延伸計画がほぼ固まり}}、さらには[[沖縄市]]までの延伸の計画もある。
*沖縄市と[[国際通り]]に[[ライトレール|LRT]]方式もしくは2005年(平成17年)に開催された[[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]で使用運行された[[愛知万博の交通#バス|交通システム]]方式による[[路面電車]]敷設の計画があり、前述の鉄道と連携・乗り入れする構想がある。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
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**[[樺太の鉄道]]
**[[四国の鉄道]]
**[[九州の鉄道]]                 
 
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2013年8月|section=1}}
*[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-142191-storytopic-11.html 都市交通 なぜ沖縄に鉄道がないのか] - [[琉球新報]](2009年3月27日付)
 
== 外部リンク ==
*[http://www.yui-rail.co.jp/ 沖縄都市モノレール株式会社]
*[http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/doboku/toshimono/index.html 沖縄県土木建築部 都市計画・モノレール課]
*[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-142191-storytopic-11.html 都市交通 なぜ沖縄に鉄道がないのか] - [[琉球新報]](2009年3月27日付)
 
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