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==歴史==
[[植民地]]政策に熱心だった[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]は、植民地獲得の気運を高めるため、[[アジア]]・[[アフリカ]]に関する屋外民俗博物館の建設を思いつき、[[パリ万博]]の「世界旅行パノラマ」(各地の建物に似せた疑似建築を寄せ集めた民俗村)で見た[[五重塔]]の移築を計画する。それらを手掛けたフランス人建築家、[[アレクサンドル・マルセル]]から五重塔の設計図を[[1901年]]に購入し、[[1904年]]に完成、翌年公開した。扉や外壁など一部の装飾を[[横浜市|横浜]]の職人に造らせてはいるが、建物自体はマルセルの設計図に基づき、西洋人の手で建設されているため、独特な[[和洋折衷建築|和洋折衷]]の建物になっている。
[[File:Pavillon chinois 01.JPG|thumb|left|300px|中国風の四阿]]
賓客を迎えるための[[レストラン]]として[[1903年]]に中国館の建設が計画された。同じくマルセルの設計のもと、パリ万博のパビリオンの解体部材や、[[上海]]への発注品などを使って建築が始まったが、屋外博物館計画が頓挫したため、[[1905年]]に一旦中止された。内装は高級レストランにふさわしく、[[ベルエポック]]調の豪華なものにしつらえられたが、結局レストランとして使われることはなかった。