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'''ルジェフ'''([[ロシア語]]:{{lang|ru|Ржев}};Rzhev)は[[ロシア]]の[[トヴェリ州]]中部の[[都市]]。[[ヴォルガ川]]の最も上流に位置する街でもある。[[スターリツァ]]からは南西へ49km、[[トヴェリ]]からは126km。[[モスクワ]]と[[リガ]]を結ぶ鉄道および国道の途中にある。人口は63,729人([[2002年全ロシア国勢調査|2002年国勢調査]])で、トヴェリ州では2番目に大きい。
 
ルジェフはこの地方でも[[トロペツ]]と並んで古い都市であり、ルジェフは歴史記録([[ノヴゴロド]]法)への初出を[[1019年]]であると主張する一方、トロペツ側はルジェフの名がはっきりと記録に登場するのは、有名なトロペツ公で[[アレクサンドル・ネフスキー]]の祖父でもある[[ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ|ムスティスラフ・ムスティスラヴィチ]]がルジェフを領地としていた時代([[1216年]])にすぎないと主張する。どちらにせよ、中世のルジェフは[[ノヴゴロド公国]]、[[スモレンスク公国]]、[[ウラジーミル・スーズダリ大公国]]という三大国の争奪する土地として重要だった。
 
[[モンゴルのルーシ侵攻|モンゴルの襲来]]の後、ルジェフはスモレンスク公の傍系の家系に譲られ、その都となった。ルジェフ公は後に町を二分した。現在でもルジェフの町は「ドミトリー公側」と「フョードル公側」と呼ばれている。[[14世紀]]半ば、ルジェフは西の[[リトアニア大公国]]と東の[[トヴェリ]]大公国の両方から何度も攻められ、ルジェフ公らは周囲の村をすべて失った。最後には公らはモスクワへ逃れた。その子孫であるルジェフスキー家はロシアのアネクドートでよく取り上げられる滑稽なキャラクターとなっている。ルジェフは一時トヴェリ領となったものの、後に[[ポーランド・リトアニア共和国]]に占領され、最終的に[[モスクワ大公国]]の領地となった。