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なお、三木以来の保守傍流・党内左派というイデオロギー的伝統はほぼ継承されず、外交安保の論客でどちらかと言えば[[タカ派]]に属するといわれる高村や、[[2009年]]に自民党の大半が賛成する改正[[国籍法]]の採決で反対票を投じた[[有村治子]]、[[山東昭子]]ら、保守系議員が多い。[[野田聖子]]は、旧河本派に属していた1998年7月に史上最年少の37歳と10ヶ月で初入閣したが、2003年に派閥を退会。
 
[[2006年]]の[[2006年自由民主党総裁選挙|総裁選]]では派として[[安倍晋三]]を支持し、圧勝に一役買うことになった。安倍を支持する「再チャレンジ支援議員連盟」会長として中堅・若手議員の取りまとめに奔走した[[山本有二]]が[[内閣府特命担当大臣]](金融・再チャレンジ担当)として初入閣。さらに翌年の[[松岡利勝]]の死去を受けて、[[赤城徳彦]]が[[農相]]として初入閣したが、政治資金に関する疑惑によって[[第21回参議院議員通常選挙]]で自民党が大敗する一因となったため、事実上の更迭という形で辞任した。
 
[[2007年]]8月、[[山東昭子]]が参院副議長に就任し、党籍と派閥を離脱。同8月27日に行われた内閣改造では、派閥会長の高村が[[防衛大臣]]として入閣し、[[大島理森]]が国対委員長として執行部入りした。改造してすぐに安倍政権は総辞職となったが、後継の福田政権において高村が外務大臣へ横滑りとなり、大島は国対委員長を再任となった。続く麻生政権では入閣者は出さなかったが、大島は引き続き国対委員長を努め、この間に自民党国対委員長の通算在任日数記録を更新した。