「曽根崎心中」の版間の差分

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この演目を皮切りとして、「心中もの」ブームが起こった。近松の代表作の1つである『[[心中天網島]]』も[[享保]]5年([[1720年]])に発表されている。
 
またこうした心中もの<!-- は江戸時代末期という閉塞的な時代を背景に (元禄~享保は江戸時代末期ではありません。)-->の流行し、その結果こうした作品にあやかって来世で二人の愛が結ばれることを誓った心中事件が多発したため、江戸幕府は享保8年([[1723年]])より上演や脚本の執筆や発行を禁止すると共に、心中者の一方が生存した場合は極刑を申し渡し、双方生存の場合は晒し者にしたのち市民権を奪い、心中死した遺体は親族に下げ渡さず一切の葬儀を禁ずるなど、心中事件に対して苛烈な処置を行ったが、その後も[[江戸四大飢饉]]や[[天明の打ちこわし]]といった事件により民衆での心中は流行していた。
 
==あらすじ==