「ブラショヴ」の版間の差分
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地名の原綴および他言語呼称、IPA 等の追加。歴史の前史の追加。細かい訂正多数。 |
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{{世界の市
|正式名称 =ブラショ
|公用語名称 ={{Lang|ro|Braşov}}<br/>{{flagicon|Romania}}<br/>
|愛称 =
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|画像 =Brassopanorama.jpg
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|市旗 =Flag_of_Brasov_-_as_seen.png
|市章 =Coa_Romania_Town_Brassó.svg
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|緯度度=45 |緯度分=40 |緯度秒= |N(北緯)及びS(南緯)=N
|経度度=25 |経度分=37 |経度秒= |E(東経)及びW(西経)=E
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|下位区分名 ={{ROU}}
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}}
日本では'''ブラショフ'''という表記も見られるが、ルーマニア語はスラヴ語のように語末の v が無声化して [f] になることはない。
[[カルパティア山脈]]によって囲まれる[[トランシルヴァニア]]地方の中心的都市の一つであり、都市の建設にはドイツからこの地に植民した[[トランシルヴァニア・ザクセン人]]が深く関わった。このため、「'''クローンシュタット'''」というドイツ語名を持つ。これは英語で言うところの ''Crown City'' を意味し、中世ラテン語名の「'''コロナ'''」(''Corona'')と同じであり、市の紋章に反映されている。中世には、「ブラショフ/ブラッソ」「クローンシュタット」「コロナ」の3つの都市名が同時に使われていた。▼
▲[[カルパティア山脈]]によって囲まれる[[トランシルヴァニア]]地方の中心的都市の一つであり、都市の建設にはドイツからこの地に植民した[[トランシルヴァニア・ザクセン人]]が深く関わり、ザクセン人の居住する都市であった。このため、「'''クローンシュタット'''」というドイツ語名を持つ。これは英語で言うところの ''Crown City'' を意味し、中世ラテン語名の「'''コロナ'''」(''Corona'')と同じであり、市の紋章に反映されている。中世には、「ブラショ
市では毎年、[[チェルブル・デ・アウル国際音楽祭]]が開催されている。
== 歴史 ==
現在ブラショヴがある土地にはハンガリー人の[[征服定住]]以前には[[ブルガリア人]]が居住しており、当時、すでに相当な規模の都市であったと考えられている。征服定住後、[[ハンガリー王国]]の初代[[国王]][[イシュトヴァーン1世]]がツェンク山(ハンガリー語 {{lang|hu|Cenk}} [ˈt͡sɛŋk]、ドイツ語 {{lang|de|Zinne}}、{{lang|de|Kapellenberg}}、ラテン語 {{lang|la|Mons Cinum}}、ルーマニア語 トゥンパ {{lang|ro|Tâmpa}} [ˈtɨmpa])にブラッソヴィアという城塞を築かせた。この城塞は[[1211年]]にハンガリー王[[エンドレ2世]]によって[[ドイツ騎士団]]に与えられた。
12世紀、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ゲーザ2世]]に招かれたトランシルヴァニア・ザクセン人たちは、鉱業と農業に従事して、町の発展に貢献した。移民は主に[[ラインラント]]、[[フランドル]]、[[モゼル県|モゼル]]地域から来たが、その他[[テューリンゲン]]、[[バイエルン州|バイエルン]]、[[ワロン地域|ワロニア]]、そして[[フランス]]からもやって来た。文書におけるブラショフへの最初の言及は1252年、''Terra Saxonum de Barasu''(「バラスのサクソン人の国」)の記述である。▼
▲12世紀、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ゲーザ2世]]に招かれたトランシルヴァニア・ザクセン人たちは、鉱業と農業に従事して、町の発展に貢献した。移民は主に[[ラインラント]]、[[フランドル]]、[[モゼル県|モゼル]]地域から来たが、その他[[テューリンゲン]]、[[バイエルン州|バイエルン]]、[[ワロン地域|ワロニア]]、そして[[フランス]]からもやって来た。文書におけるブラショ
1211年、ハンガリー王[[アンドラーシュ2世|エンドレ2世]]の命令で、[[ドイツ騎士団]]がハンガリー国境を守るための要塞を[[ブルツェンラント]]([[:en:Burzenland]]、ハンガリー語:{{lang|hu|Barcaság}} [ˈbɒrt͡sɒʃɑ̈ːɡ] バルツァシャーグ、ルーマニア語:{{lang|ro|
[[ファイル:BrasovTroster.jpg|thumb|left|250px|クローンシュタット(1666年発行の本の挿絵)]]
ブラショ
一方で、ドイツの植民地であるクローンシュタットにおいて、[[ルーマニア人]]は市民とみなされていなかった。彼らは市内で商いをすることすら許されていなかった。また、ルーマニア人の信仰する[[正教会]]はトランシルヴァニア中で公式に認められていなかった。結果として彼らは羊飼いか密輸で生計をたてるようになった。
町の外の
[[ファイル:Kronstadt vom Schlossberg 1900.jpg|thumb|280px|1900年ごろのクローンシュタット]]
1918年にトランシルバニア全体がルーマニアに併合されるが、ザクセン人たちは新国家の中でもその地位を脅かされることはなかった。2つの大戦に挟まれた時代、ブラショ
1950年から1960年までの一時期、町はソビエトの指導者[[ヨシフ・スターリン]]にちなんで、'''スターリン市'''(ルーマニア語:{{lang|ro|Oraşul Stalin}} オラシュル・スタリン、ハンガリー語 {{lang|hu|Sztalinváros}} スタリンヴァーロシュ、ドイツ語:{{lang|de|Stalinstadt}} シュターリーンシュタット)と呼ばれていた<ref>[http://www.traveltoromania.com/destinations/transylvania/brasov Brasov - Travel To Romania]{{en icon}}</ref>。
共産主義政権の期間には、工業の発展が非常に加速された。[[ニコラエ・チャウシェスク]]政権下の1987年、ブラショ
また、1989年の[[ルーマニア革命 (1989年)|ルーマニア革命]]において、ブラショ
== 人口 ==
ブラショ
'''1850年''':21,782 人、内訳は[[ドイツ人]]8,874人 (40.8%)、[[ルーマニア人]]8,727人 (40%)、[[
'''1890年''':30,739人、内訳は
'''1930年''':59,232人、内訳は
現在、'''2002年'''の国勢調査によれば、ブラショ
*ルーマニア人:258,042人(90.66%)
*
*ドイツ人(ザクセン人):1,717人(0.60%)
*ロマ:762人(0.26%)
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== 経済 ==
[[ファイル:Tampabv.jpg|thumb|280px|トゥンパ山]]
ブラショ
ブラショ
産業基盤は近年低下しているが、ブラショ
特に製薬産業は最近、[[グラクソ・スミスクライン]]がブラショ
ルーマニアの他の主要都市と同じく、不動産価格が著しく増大し続けている。そして最近の[[欧州連合]]への加入、間もなく完成する空港などを材料に、投資家心理は高まり続けている。
== 交通 ==
ブラショ
鉄道の駅は市の中心のブラショ
また主要道は、[[欧州自動車道路]][[E60号線]]、国道DN1号線が接続している。
2008年4月にブラショ
== 観光 ==
[[ファイル:BisericaNeagradinPtaSfatului.jpg|thumb|250px|黒の教会]]
ルーマニアのほぼ中央に位置するブラショ
主な観光地は以下の通り。
* 黒の教会({{lang|ro|[[:en:Biserica Neagră]]}})- [[ゴシック建築|ゴシック様式]]の建物。1385年ごろに破壊された以前の教会に代わり、1477年に作られた。1689年、[[オスマン帝国]]との戦いで[[ハプスブルク帝国]]軍が侵入してきた際の大火の煙で黒くなったことにより、その名がつけられた<ref>{{lang|ro|Virgil Vătăşianu, ''Istoria artei feudale în ţările romîne'', Vol.I, Editura Academiei RPR, Bucharest, 1959.}} {{OCLC|536121}}, p.228, 526</ref>。
* カーサ・スファトゥルイ([[:ro:Casa Sfatului]]、評議会の家)- 昔の市役所。500年以上の間、ブラショ
* ブラショ
* シュケイ(またはスケイ)地区({{lang|ro|[[:en:Şcheii Braşovului|Şchei, Schei]]}})- 古い城壁に囲まれた町の外側の、古くはブルガリア人、その後ルーマニア人の居住地であった区域。地区から要塞の中への出入り口であったシュケイ門(1827年改築)、エカテリーナの門(1559年建設、その後一部改築)が現存している<ref>[http://www.brasovtravelguide.ro/en/brasov/sightseeing/gates.php Gates - Brasov Travel Guide]{{en icon}}</ref>。
* [[聖ニコラエ聖堂 (ブラショ
* ルーマニアの最初の学校の博物館({{lang|ro|Muzeul primei şcoli româneşti}}, [[:en:First Romanian School]])- 聖ニコラエ教会の敷地内にある、ルーマニア人のための初めての学校。ルーマニア語で印刷された様々な最初の本と、最初の印刷機が展示されている。
* トゥンパ山({{lang|ro|[[:en:Tâmpa]]}})- 市の真ん中の、標高960メートル(995メートルとしている情報源もある)の山。旧市街中心部の近くの観光地。登るルートはいくつかあり、ケーブルカーでも登れる。頂上にはレストランがある。
また、近郊の[[ブラン城]]へ行くバスもブラショ
== スポーツ ==
* [[FCブラショ
* ルルメントゥル・ブラショ
* CSUブラショ
* CFRブラショ
== 出身有名人 ==
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{{DEFAULTSORT:ふらしよふ}}
[[category:ブラショ
[[Category:ルーマニアの都市]]
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