「吉田神道」の版間の差分

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顕隠二教を以って一体となすのが特徴で、[[顕露教]]の教説を語るものとしては『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』『[[先代旧事記]]』(三部本書)、隠幽教の教説は『天元神変神妙経』『地元神通神妙経』『人元神力神妙経』(三部神経)に基づくとするが、兼倶独自のものとは言い難く、その教理や儀礼は[[密教]]や[[道教]]、[[陰陽道]]等の[[教理]]や[[儀礼]]を取り入れている。
 兼倶は[[朝廷]]と[[幕府]]の支持を背景に'''神祇管領長上'''という称を用いて、「宗源宣旨」を以って地方の[[神社]]に神位を授け、また[[神職]]の位階を授ける権限を与えられて、神道界に大きな力を有した。一時衰退した時期もあったが、江戸期には、徳川幕府が1665年(寛文5年)に制定した諸社禰宜神主法度で、神道[[本所]]として全国の[[神社]]・神職をその支配下に置いた。
 
== 参考文献 ==