「岡山県の高校野球」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
しまあじ (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
151行目:
=== 岡山東商vs倉敷工 ===
岡山東商と倉敷工は1950年代から70年代まで、毎年のように両校もしくはどちらか1校が決勝に出場していた。50年から80年までの31年間で岡山東商は16回、倉敷工は13回も決勝へ進出しており、両校は決勝で5度対戦している。
 
== プロへ進んだ選手 ==
{{独自研究|section=1|date=2013年8月7日 (水) 13:23 (UTC)}}岡山県からプロに進みエースとなった投手は岡山県唯一の[[第37回選抜高等学校野球大会|全国制覇]]を成し遂げた[[岡山県立岡山東商業高等学校|岡山東商]]の'''[[平松政次]]'''、同じく岡山東商(当時は岡山東)から'''[[秋山登]]'''、[[岡山県立倉敷商業高等学校|倉敷商]]からは闘将でおなじみの'''[[星野仙一]]'''に'''[[松岡弘]]'''、[[関西高等学校|関西]]の'''[[森安敏明]]'''、[[おかやま山陽高等学校|山陽]]の'''[[仁科時成]]'''、[[岡山県立勝山高等学校|勝山]]の'''[[石井茂雄]]'''と'''[[山根和夫]]'''など多くの選手があげられる。
 
その一方、バッターではスラッガーが少なくプロでホームランを量産した岡山県出身のバッターは関西の'''[[大杉勝男]]'''だけと言ってもよい。代打の神様と呼ばれた'''[[八木裕]]'''(岡山東商)、名三塁手でならした'''[[三宅秀史]]'''([[岡山県立倉敷鷲羽高等学校|南海高校]])や犠打の世界記録保持者である'''[[川相昌弘]]'''([[岡山県立岡山南高等学校|岡山南]])など、どちらかというと巧打者が多い。'''[[佐々木誠 (野球)|佐々木誠]]'''([[岡山県立水島工業高等学校|水島工]])や'''森田和也'''([[岡山理科大学附属高等学校|岡山理大附]]1999年夏準優勝メンバー、瀬戸内のドカベンと呼ばれた、プロへは進まず)などの強打者はどちらかと言えば少数派である。
 
== 現在活動中の野球部 ==