「石田博英」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
演じた俳優を追加。
85行目:
[[秋田県]][[大館市]]出身。祖父は[[花岡鉱山]]を開発した鉱山師。父は[[京都大学|京都帝国大学]]工科を卒業後、[[冶金]]技師として大阪[[造幣局]]に勤務。戦後、闇米をせず栄養失調のため死去している。
 
[[早稲田大学]][[政治経済学部]]に入学し、在学中に恩師で後に早大政治経済学部長となった[[吉村正]]に連れられて[[三木武夫]]の選挙応援をしたことが機縁となり、三木との知遇を得る。石田は、選挙民に嘲笑されてはならないと父親の[[フロックコート]]を借りて、三木を[[自転車]]に載せて街頭[[演説]]に回った<ref>[[小説吉田学校]]にもこのエピソードが記載れている</ref>。この他、学生消費組合に関連し、[[牛込警察署|早稲田警察署]]などに連行されたことや、早大の正門前で[[喫茶店]]を経営し利益を上げたことなどが、学生時代のエピソードとして伝わっている。
 
[[1939年]]、早稲田大学を卒業後、[[中外商業新報]](現在の[[日本経済新聞]])に入社。政治部に配属される。[[上海市|上海]]支局長、政治部次長を歴任。[[1947年]]4月、[[第23回衆議院議員総選挙]]に[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]から立候補し当選を果たす(当選同期に[[田中角栄]]・[[鈴木善幸]]・[[中曽根康弘]]・[[増田甲子七]]・[[中山マサ]]・[[松野頼三]]・[[荒木万寿夫]]・[[原田憲]]・[[園田直]]・[[櫻内義雄]]・[[根本龍太郎]]・[[中村寅太]]など)。[[隠退蔵物資事件]]などを扱う衆議院不当財産取引調査特別委員会理事を務め、[[片山哲内閣|片山]]・[[芦田内閣]]追及の急先鋒として活躍した<ref>[http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001310127_00000&seg_number=001 日本ニュース戦後編第127号]</ref>。
107行目:
[[1964年]]の[[第3次池田内閣 (改造)|第3次改造内閣]]において3度労働大臣に就任する(引き続き[[第1次佐藤内閣]]でも留任)。この時懸案のILO87号条約の批准の為政府も本腰を入れ、衆参両院にILO特別委員会を設置して関連法案の検討を実施し、国内法は5月14日に成立、翌6月14日に日本はILO87号条約の批准に至った<ref>[http://www.jeiu.or.jp/history/1965/#3 ILO87号条約批准闘争] 電機連合のあゆみ [[電機連合]]HP内</ref>。なお、この時に石田の後任として労相に就任したのは因縁の福永健司であった。
 
石橋の総理退任・政界引退後、しばらくして[[火曜会|石橋派]]は解消し(当時はまだ派閥継承という概念はなかった)、石田は無派閥となる。この間も旧石橋派のメンバー数名をまとめていたこともあり、[[1969年]]の[[第32回衆議院議員総選挙|総選挙]]を機に旧石橋派の[[宇都宮徳馬]]、[[地崎宇三郎 (三代)|地崎宇三郎]]と、石田の秘書出身である[[山口敏夫]]、他派閥と二重在籍の[[島村一郎]]([[島村宜伸]]の父)、[[伊藤宗一郎]]らを加えて石田派([[二日会]])を結成。しかし勢力拡大は進まずわずか2年で解散し、[[1971年]]に[[番町政策研究所|三木派]]に合流する。だが[[1980年]]に三木派が河本派に衣替えするとともに、[[河本敏夫]]との後継者争いに敗れたかたちとなり派閥から遠のいていった。
 
[[1974年]]に党幹事長代理、[[1976年]]に[[三木内閣改造内閣]]の[[運輸大臣]]として三木を支える。三木退陣後の[[福田赳夫内閣|福田内閣]]で4度目の労働大臣を務める。[[1983年]]11月、[[第37回衆議院議員総選挙|次の総選挙]]に出馬することなく政界を[[引退]](地盤は[[参議院議員]]から鞍替えした[[野呂田芳成]]が引き継いだ)。
115行目:
元[[ソ連国家保安委員会]](KGB)職員で[[1992年]]にイギリスに亡命した[[ワシリー・ミトロヒン]]が持ち出した資料「[[ミトロヒン文書]]」、および同じく元KGBでアメリカに亡命した[[スタニスラフ・レフチェンコ]]の証言では、“フーバー”という[[コードネーム]]を持つKGBのエージェントであったとされている([[レフチェンコ事件]])<ref>{{Cite book|last=Godson|first=Roy|title=Dirty Tricks or Trump Cards|publisher=Transaction Publishers|page=145|isbn=9780765806994|year=2000}}</ref><ref>{{Cite journal|和書||author=[[中西輝政]]|year= 2006|month=04|title=中国の対日工作を予言していた米国「防諜官」の驚愕証言に学べ|journal=[[正論 (雑誌)|正論]]|publisher=[[産業経済新聞社|産経新聞社]]}}</ref>。
 
石田の秘書を務めていた者に、[[山口敏夫]](後に[[新自由クラブ]]に参加一時期[[小沢一郎]]の最側近)、[[新党さきがけ]]の理論的指導者となる[[田中秀征]]や、兵庫県議会議長を務めた[[原亮介]]、同じく小沢の側近で後に袂を分かった[[西川太一郎]]([[荒川区]]長)がいる。
 
== 著書 ==
122行目:
*『石田労政―想い出と記録』(1959年)
*『変貌する労働情勢』(1965年)
 
== 演じた俳優 ==
* [[辻萬長]](『[[小説吉田学校]]』、1983年)
 
== 関連項目 ==